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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

語気を荒げるほど、話の内容には関心を持ってもらえなくなる。内容に耳を傾けてもらいたければ、穏やかに話すほうが得策。

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先日、住んでいるマンションの年1度の定期総会がありました。総会と総会の合間には、理事会が2-3か月に一度集まって、あれこれ議論しており、そこで決定して実行に移すレベルのこともあれば、総会にかけて住人の合意を得る必要がある、というレベルの問題もあります。

今回も少し大きな金額を支出して、「マンションのエントランスを工事する」という議案がありました。5年前新築で入居してから住人は9割ずっとそのままで、だから、5年前のことをほぼ全員が記憶しているのですが、エントランスの扉は、意匠に凝りすぎてすごく使い勝手が悪い(重くて開けづらい、思いっきり開けるとある場所にぶつかってぶつかった箇所が壊れる・・を繰り返している)、ということで、何度も施工会社と「つけなおしてくれ」交渉をしてきました。

しかし、施工会社は「これは設計ミスではない」という主張を崩さず、「どうしても気に入らないなら、管理組合の費用で工事してくれ」という・・。この話し合いを5年間やってきて、「もう瑕疵担保期間での対応、だとか、設計ミスだからそっちでやれというのも無理だね、管理組合で工事しよう」と理事会で検討したようです。

それを全住民にはかるというのが今回の総会の一番大事なテーマでした。

いきさつはわかっているし、もうどーしようもないということも頭では理解していたので、私なんぞは、「仕方ないなー。●十万の支出か、しょーがないなー」と諦観し、挙手を求められたらしぶしぶ手を挙げるか、と思っていたのですが、Q&Aセッションになったら、数人がやはりこれに異議を唱えました。うん、異議を唱えることはいいんです。民主主義ですし、話し合いは大事ですから。

ただ、発言者の発言には、かならず語尾に小さな「っ」が入るのですね。

「これ、施工会社にやってもらうわけにはいかないんですかっ?」
「あと5年すれば、大規模修繕になるのだから、その工事の一環でまとめてやったほうが安く済むのではないですかっ?」
「その工事で、今の問題が解決するんでしょうかっ?」
「○○にする、ということは検討してないんでしょうかっ?」

この小さな「っ」には、感情がこもっているわけで、私なんぞは、「っ」のほうに耳が吸い寄せられ、主張の内容そのものよりも、「っ」が気になって気になって。

『もっと穏やかに言うほうが大勢が耳を傾けてくれるだろうになぁ』
『っ、になってしまうから、”おお、感情的だ、感情論だ”というほうに関心が行ってしまうなぁ』

とぼーっとなりゆきを見守っていました。

この日を最後に交代する理事長さんがまあ、カッコよくって。

「その件は、理事会で検討し、今日提案している方法が様々な条件の中ではBestだろうと思っています。」
「解決するかどうかはやってみないとわかりませんが、プロが設計し、見積もってきて、これでいけるといっているのだから信じるしかないですね」
「今の不具合を5年放置して、みなさん、我慢できるのでしょうか」
「その点については、もうこの数年十分、議論してきましたよね」

・・・

そして、多数決の結果、「工事する」となりました。

マンションの総会、ファシリテーションの勉強になることもあり、毎回欠かさず参加しているのですが、今回も勉強になりました。

自分の意見をきちんと聞いてもらいたいと思うときほど、冷静に語るほうが得策だと常々思っています。語尾に「っ」が入るだけで、その「感情面」に聞き手は集中してしまう。

穏やかに低い声でゆっくり意見を言う方が、実はよほどインパクトがある。

皆が身を乗り出して、耳を傾けるようにするには、語尾に「っ」を入れないほうがよいのです。

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