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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

経営統合と「言葉」の問題

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私自身、DECから現在のGlobal Knowledge Network(以降、GK)には、転職した、というよりも、転籍をした、のほうが近い状態での2社目です。というのは、1995年、まだこの世にDECという会社があった時代、Education部門がワールドワイドに売却され、GKという会社が作られたので、「該当部門の人は、転籍してねー」ということが起こったからでした。(これ、「DECに残る」という選択肢ももちろんあり、残ったメンバもいます)

私が所属したのは、そのJapanブランチ(当時です)だったのですが、講師と一部の営業が転籍しただけの会社には経営層がいなかったので、おもにIBM出身の方たちがマネジメントとしてやってきました。(横文字多くて済みません)

DECとIBMさんとでは用語が全然違うらしく、会話がかみ合わないことがしばしばありました。(売上とか利益を指す言葉なども微妙に違う・・・とかです)

考え方ももちろん違うのですが、会話に出てくる「用語」がそもそも異なるので、しばらく苦労しました。数年たって、気付いたら、どちらかの言葉に統一されていったので、違和感はいつのまにか吸収されたのですが。

そんな体験があるものですから、このエントリーのタイトルにした「経営統合と「言葉」の問題」というのは、体感的によく理解できます。

経営統合→システム統合の作業まっただ中の方とお話ししたときのこと。

「言葉がまったく違うんです」
「かみ合わないんです」

・・・

「で、どちらかの言葉に統一しよう、用語集を作ろう、となりました」

「すると、今度は、どちら(A社かB社か)の言葉に合わせるのか、でまたもめます」
「結果的に基本はA社用語に合わせると決まって、用語集もできました」

・・・

「でも、B社側の人間は、それがまた気に入らないので、使いたくないんです。」

・・・

「私なんか、もうどーでもいいじゃないか。仕事が先に進むなら、と思うのですが、プライドが許さないというか、変化についていけないというか、抵抗勢力があるんですよね…。(ため息)」

・・・・・・・・・

わかる、わかる、わかる、わかる!

わかりすぎるほど、わかります。

頭では理解できても、心が拒絶する感覚

B社の方だって、B社用語に格別な愛着があったかと聞かれたらそうでもないかもしれません。ただ、A社に合わせるんだ、と言われた瞬間に、むくむくと抵抗感が。

自分のこれまでを否定されたような気持になってしまうということもあるのかも、です。

こういうのは、理性だけで、論理だけで解決しないので大変です。

「こころ」の問題、「きもち」の問題が必ず絡む。

そして、「こころ、きもち」のほうが、現状に適応するには、時差が生じる。


きっと、何年か経てば、「A社用語だったかB社用語だったか」わからなくなり、どこかに統一されていくのでしょうけれど、そこまでは、小さな嵐があることは享受しないといけないのですね。

用語を例に挙げましたけれど、異文化の接触というのは、とかくそういうことの連続だと思います。

結婚生活で、「洗濯物を裏返しにして干す」家出身者と、「洗濯物は表で干す」家出身者でのぶつかり合いなんてことだってあるわけで、だんだんと、どちらかに合わせる、または、新ルールを作る、ということになっていきますわねぇ、通常は。

経営を統合した場合の異文化の衝突というのも、「どちらかにあわせる」または「新しいものを作る」ということにより解決、しかも、ある程度の「時間」という要素も添加して、というのが現実的なのでしょうね。

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