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”感謝”して生きた人は”感謝”して死ねる:「死にざまこそ人生」(柏木哲夫医師)/グリーフケア講座9回目振り返り

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先日のグリーフケア(悲嘆ケア)講座9回目は、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長で自らは精神科医の柏木哲夫医師が講師でした。ホスピスを日本に広めた第一人者といった方だそうです。

ホスピス医療に関わり、2500人以上の看取りをしてきた経験から、~「ありがとう」と言って逝くための10のヒント~というサブタイトルでお話しなさいました。

以下、印象に残ったメッセージを。(まずは、箇条書きで)

●死という現実:死というのは、生の延長戦上にあると思われがちだけれど、人々は、日々、死を背負って生きている

●一枚の紙の表が生であれば、死はその紙に裏打ちされているようなもの

●死にゆく時、「3つの和解」が重要である。1つは自分との和解。”まあまあな人生だったな”と自身で思えること。2つ目は周りとの和解。たとえば、家族とのわだかまりの若い。これは、早い方がいい。最後が超越者との和解。「魂」のいたみをきちんと解決しておく。

●理解的態度:患者にとってよかれと思って行ったことが、患者にはよろしくないことがある。例として「安易な励まし」。すぐ「頑張れ」と言ってしまうけれど、「これ以上頑張れない。それよりしんどさをわかってほしい」という患者がいる。「頑張れ」ではなく、「しんどいなあ、つらいなあ」と言ってほしい。 「安易な励まh氏」は会話を断ち切ることができてしまう。弱音を吐きたくても、「頑張れ」と言われたら、それ以上は黙るしかないから。

●「理解的態度」とは、「あなたの気持ちを私はこう捉え、理解しましたが、これで正しいでしょうか?」と相手に返すこと。この効用は3つ。1.会話が持続する。 2.会話をリードするのは相手(患者) 3.患者は弱音を吐き切ることができる

●子どもに死を知らせる(理解させる)ことの大切さ:子どもが大人と同じ”死の概念”を持つのはだいたい9歳ごろと言われている。それまでは、たとえば、おばあちゃんの死に際して、「明日は目が覚めるの?」などと尋ねたりする。

●”死の概念”は、4つから成り立つ。1.普遍性:誰にでも訪れることである 2.不可避性:誰もが避けられない 3.不可逆性:いったん死ぬと元の”生”には戻らない 4.因果性:死には何等かの原因がある

●子どもたちは身近で死を体験することが減っているため、”死の教育”(Death Educaton)が必要になっている

●緩和ケアとユーモア: ユーモアは人間にとってとても大切。ユーモアで笑う時、辛さなどをいったん脇に置いておける。 ユーモアによって、「自己距離化」(不安や辛さなどを自分と離すこと)ができる 

”死の概念””死の教育”が大事だというのは、数回前の講座でお話しされた聖路加国際病院・日野原重明先生が10日に一度開催しているという”いのちの教育”と通じるものがあるなあ、と思いました。

また、”よかれと思って励ましたりするけど、安易な励ましは会話を断ち切る”というのは、やはり、日野原先生の若かりし頃の体験を思い出しました。16歳の少女が余命いくばくもなくなった時、日野原医師は、「ガンバレ、ガンバレ、大丈夫」と言い続けてしまった。けれど、ほどなくして彼女は亡くなった。あとで「なぜ、あの時、”ガンバレ”ではなく、”お母さんにちゃんと感謝を伝えてあげるからね”などと言ってあげられなかったのだろう、と後悔し、命を考えるようになった」といったようなお話だったと記憶しています。

死を意識しているという状態でなくても、日常的に、悩み、苦しむ人に対し、つい「頑張れ。大丈夫!」と励ましてしまうけれど、”安易な励まし”は、容易に会話を打ち切ることができる、と言われれば、本当にそうだなあと納得します。

上司と部下、同僚同士、友達、家族。悩んでいる人の苦しみをただただ傾聴するのは難しくて、悪気はないけれど、つい「ガンバレ」と言ってしまう。けれど、それは、会話を断ち切る、打ち切ることにつながるのだ、と。もっときちんと耳を傾ける必要があるのですね。

柏木医師は、最後にこう締めくくりました。

「よき死を迎えるため」には、「よき生」を。

では、「よき死」とは何か。自分が周囲に「ありがとう」と言うことができ、周りからも「ありがとう」と言われるような死。

では、どうやってこういう最期を迎えるのだろう。

「よき生」には、人それぞれの価値観も影響し、一つに定義できないけれど、多くの看取りをしてきた立場で言えるとしたら、「周囲に”感謝”して生きてきた人は、死ぬ際も”感謝”して死ねる。その人が周囲に対しどれだけ”感謝”をして生きてきたか、が、その人の最後のありようを決めるのではないか。 私はそう思います。

11年前、99歳11か月で亡くなった母方の祖母は、最後の8年弱を私の実家(つまり、実の娘の家)で過ごしました。要介護度5の寝たきり状態だったからです。頭はしっかりしていて、見ているような見ていないようなTVからも最新情報を仕入れては、政局について語れるほどでした。ただ、身体はかなり不自由になっていたので、食事も介助が必要でした。

祖母は、いつも「ありがとう」「ありがとう」と言っていました。

明治の忍耐強い女であった祖母は、最後まで「ありがとう」と言い続け、蝋燭の火が消えるよう、ある日、すーっと息を引き取りました。感謝して生きてきた人だったように思います。

柏木医師のお話を聞きながら、祖母を思い出し、祖母を見習って、私もまた「感謝」する人であろうと心しました。

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