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書くことが癒しになる:グリーフケア講座最終回(7/12)、作家・柳田邦夫さん

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5月から通っていた「上智大学グリーフケア研究所」主催社会人向け講座「グリーフケア」が7月12日(木)最終回を迎えました。すぐに記録の意味で書こうと思っていたのにずいぶん時間が経過してしまい、当日とっていたメモを見ても、しっかりと思い出せない箇所もあります。やはり、「ブログを書くまでが○○です」というのは、ある意味正しい。すぐ書かないと、忘れてしまう、というか、再現できないものですね。

といいつつ、このブログで講座も模様を追体験してくださる方が少なくとも3人はいらっしゃるので(笑)、自分の備忘録も兼ねて、まとめてみましょう。

最終回の講師は、ノンフィクション作家の柳田邦夫さんでした。

命をテーマに様々な事件、事故を小説やドキュメンタリーものとしてまとめる方です。7月12日の講座が柳田さんだとわかっていたので、何か一冊直前に読んでおこうと思い、『犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日』を読み、準備していました。

この『犠牲(サクリファイス)』は、柳田さんの次男が20代で精神を病んだ上で自死を測り、脳死状態で11日後に亡くなるまでをつづったもので、壮絶な記録になっています。

脳死状態に陥ってから、柳田さんは、「脳死は本当に人の死なんだろうか」とずっと自問自答し続けます。これまでも脳死移植の問題なども取材し、他人よりは「脳死」について理解しているつもりだったけれど、いざ、家族にそういう問題が起こった時、「これは本当に人の死といっていいのか」と考え始めるのです。 

私もかねてより「脳死は人の死なのか?」とずっと疑問に思っていたので、ご子息の脳死状態を看護しながら自問自答を繰り返すくだりは、私にもとてもしっくりくる、というか、言い方が難しいのですが、「ああ、その部分なのだ、私の疑問も」と思ったものでした。

非常に重いテーマですが、今年読んだ本の中でもっとも「この本を読んでよかった」と思った一冊でした。

さて、講座の内容に戻りますが、柳田さんは、講演の冒頭でご子息のことにも少しだけ触れましたが、メインは、やはり、東日本大震災と東北でのことでした。何度も東北にも足を運び、取材もするし、支援もなさっているようでしたが、そこで考えたことをまとめてお話ししてくださいました。90分の講座なのに熱が入って最終的には約120分。20時半に終了予定が21時でしたが、ほとんど誰も席を立つこともなく、熱心に受講していました。(会場の熱気というのは、前の方で座っていても、背中で感じるものですね)

たくさんの具体的な事例の紹介もあったのですが、メインは、「書くことが癒しになる」というお話しだったと理解しました。

たとえば、被災した子供たち、親を亡くした子供たちがPTSDを抱えながらも、当日のことを作文に書くことでだんだんと癒されていく。

これは、たとえば、闘病生活を送っているがん患者などでも同じことで、俳句を始めたり、あるいは、「闘病記」を書いたりしはじめる。

表現することで心の中の混沌(カオス)としている者を、自分から切り離して「客観化」する。もやもやしたものを「整理」したいという気持ちを「言葉」にすることで、「ぐちゃぐちゃ」から順序だったものが見えてくる。

誰かに読んで貰えれば、誰かがその気持ちや状況をわかってくれる。辛さ(つらさ)は消えない、けれど、それでも立ち上がることができる。

上記は、私がノートに書き留めていたもので、柳田さんがおっしゃったか、スライドで投影されたかしたものです。(正確な再現ではありませんが)

引き合いに出されていたのが、和合亮一さん。彼も大地震数日後から、Twitter上で現代詩を投稿し始めました。この詩によって、書く人も読む人も言葉の力、表現する力で支えられる、といったことをおっしゃっていました。

よく、「傾聴しましょう」と言いますね。傾聴してもらえた人は、自分の中にあった「もやもや」など何かを自分の外に吐き出すことで、「カタルシス(浄化)」を得る、だから、聞いてあげるだけでも、十分にケアすることができるのだ、と。話し手にしてみたら、話すことが、何かを「離す」ことになるのだ、という言い方もします。

「書く」ことも同じ作用があるのですね。「書く」ことで癒される。
もちろん、「読み手」がいるに越したことはないけれど、読まれないものであっても、「書く」だけで、自分の中の何かを外に出してしまうことができる。

「表現」というのは、話す、書く。言葉にすることで自分の何かを解放したり、整理したり、納得するための過程になったりするのかも知れません。

そういう風に考えると、TwitterとかFacebookとかその他さまざまなソーシャルのツールが流行していますが(私もやっていますけれど)、ちょっとつぶやいただけですっきりした、整理できた、というようなことはよくあることです。(私は、基本的にネガティブなことは言わないようにしていますが)

言葉の力というのは大きいのですね。(柳田さんは触れませんでしたが、もちろん、絵とか音楽でも”表現する”ことの癒しは同じだと思います。ある人は文章で書き、ある人は音楽を作り、ある人は絵にする。様々な「表現方法」を持って、自分の中にあるものを外に出す行為が”癒し”になる、ということでしょう)

上智のグリーフケア講座は、10月からまた別の講師陣で再開です。今度は、香山リカさんや小山明子さんといった女性の講師も登場。大島さんのご母堂様ともとうとうお会いできるので、私の「減点ファミリー」の記憶は、約40年の時を経て、ここに完結できそうです。(満願成就といったところです)
(※ 「減点ファミリー」→ このエントリーに書きました)


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柳田邦夫さん 『犠牲(サクリファイス)-わが息子・脳死の11日』 文春文庫

精神を病んでいた次男が20代で自死を図り、脳死へ。何も言葉を発しないまま見送ることになるのですが、11日の時間に柳田さんは息子の書いたものを読んだり、脳死について考え直したり、最後は、臓器移植に同意するのですが、そこへ至る過程は、感情移入せずには読めない本でした。自分だったらどうする?とずっと考え続けさせられる本です。

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