「どうせ正解なんかわからなないんだから、『オレならこうする』でいいんじゃない?」
OJT担当者(若手社員を指導する側の方)向けのフォローアップワークショップがあり、こんな会話を耳にした。
「後輩に質問されても、自分でも確信が持てないからつい口ごもっちゃう」
「うん、わかる」
「”こうすればいい”と言い切れないし、自分も未経験な内容だったりすると”こうすればいい”すら思いつかないし」
「うん、わかる、わかる」
「どうしたもんかねぇ」
「でもさあー、そういう時、”オレならこうする”でいいんじゃないの? たとえばさあ、会議の席で、部長とか偉い人たちがよく”オレはこう思う”って言うじゃん。あれ、別に絶対的な答えを持っているわけでも、100%確信しているわけでもないと思うんだよね。偉い人だって年上の人だって、それほど自信あるわけじゃないんじゃないのかな。でも、言うじゃん。”オレはこう思う”って。それ聞いて、会議って少し先に進むじゃん」
・・・・ なるほどなるほど。
そりゃそーだ。
唯一無二の正解があることなんて仕事においてはごく少なくて、たいていの場合は、「ああいうやり方」もあるし「こういうやり方」もあるし、と複数のアプローチが存在するはず。
また上司や先輩だって、すべてを経験してきたわけではなく、「未経験ゾーン」に対する判断やアドバイスを求められる場面も多々ある。
だからって、「経験ない」から「わからない」と言っていいかというと、それじゃあ上司の名折れ。先輩の経験も生かされない。もったいない。
とはいえ、「絶対にこうだ!」と言い切る自信もない。(だってわからないんだから。)
だから、中とって、こうする。「オレならこうする」「私ならこうする」。
後輩よりは長く働き、後輩よりは数多い経験をしているものとしての、経験則とこれまでの知識からの推測をフル稼働させて。
「オレはこう思う。なぜならば、○○だから」
「私だったらこうする。なぜかといえば、××という経験を以前したことがあるから」
これでいいんじゃないだろうか?
その答えを聞き、後輩は、そのままやるかも知れないし、「ああ、いいヒントになった」といってさらに考えを深め、別の方法を思いつくかも知れないし。
人は人との対話で自分の考えを整理したり、新たな学びを得たりする。
後輩よりは少し長く生きているのだから、自信がなくたって、先輩は自分がこれまでに培ってきたものに基づいて、「オレだったら」「私だったら」と言えばいいのだ。黙ってしまうよりは、「やったことないからなあ」と口ごもるよりは、後輩の助けになるに違いない。
後輩たちの成長に役立つなのは、「唯一無二の正解」ではなく、「考えるためのヒント」なんじゃないか、と上記の会話を聞いていて思ったのであった。そう考えたら、先輩たちのプレッシャーもうんと軽くなるんじゃないかな。