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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

ワカメちゃんにはワカメちゃんの事情があるのと同じように、おかあさんにはおかあさんの事情があるわけで。

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田中家は「サザエさん」と「いじわるばあさん」なら買ってもよい、という決まりだったか不文律だったかがあった家庭で(漫画に関して)、だから、子供の頃からよく「サザエさん」と「いじわるばあさん」は読んでいました。昭和です。

何度も読んだのでいろいろなシーンを覚えていますが、ワカメちゃんってよく子守しているんですよね。昔の子どもは、自分ちだけじゃなくて、よそんちの子もよくおんぶしていたようです。

ある日、ワカメちゃんがどこかの赤ちゃんをおんぶ紐でおぶっていたら、赤ちゃんが背中でじゃーっとお漏らしをしてしまいました。ちょうどワカメちゃんの背中からお尻あたりがびしょ濡れになって、赤ちゃんは返したものの、ワカメちゃんは自宅に戻る途中、ずっとお尻が濡れたまま。その様子が、まるでワカメちゃん自身が粗相をしたかのように見える、という染みになっていて。

誤解されたら困る!と思ったワカメちゃんは、お友達にお願いして、誰かとすれ違うたびに、「ワカメちゃん、それどうしたの?」と聞いてもらうことにしました。「赤ちゃんがお漏らししたの」・・・。この会話を延々と繰り返して歩いていくわけです。

「ワカメちゃん、それ、どうしたの?」
「赤ちゃんがお漏らししたの」

また数メートル歩くと、むこうからおばさんが。

「ワカメちゃん、それ、どうしたの?」
「赤ちゃんがお漏らししたの」

・・・ こういうのって、現実にもあるんですよね。

さっき、妹からのTELで雑談をしていたら、こんな話が出ました。

甥っ子(2歳8か月)と外出したら、コーヒーショップの前を通りかかり、「ここでじゅーしゅ(ジュース)飲む!」と言い出したんだそう。

そのコーヒーショップは、数日前に、わが母(ばあば)と二人で入って、ジュースを飲んだらしく、それを思い出して、「じゅーしゅ、のむ」と言い始めた。

しかし、家を出て間もないし、用もあるし、店内を覗くと、たばこの煙、もくもくで、ここでは落ち着いてジュースどころじゃないでしょう?と判断し、「ここはタバコの煙でごほごほになるからね。ジュース、持っているから、これを飲もうね」と持参のジュースを見せても、「この中でのむ、ここでのむ」ときかないそう。

数日前にばあばと入った時も、煙くてすぐに退散したようなのですが、そのころより、「コーヒーショップでじゅーしゅを飲んだ」が思い出になっているらしく、入りたい、入りたいと泣き始めたそうです。(彼は、基本的にそんなに泣くタイプではないんですけれど)

妹は、泣いているけど、ショーがないと思い、用事のある場所へ向かって歩いていくことに。甥っ子も泣きながらついてきたそうです。でも、結構な泣き方をしているので、道すがら、虐待していると思われたら困るわ、と思い、「あのね、タバコは煙いでしょ」「タバコの匂いするでしょ」と、詳細はわからないなりに、「きっと、タバコがらみでお母さんは、息子をたしなめていて、それで息子は泣いているのだろう」と推測してもらえるだろうと、「タバコ」をひたすら強調したといいます。

用事のある先(役所)に到着しても、まだ泣いているので、ここでも職員さんに「虐待?」と誤解されては、係の方に訊かれる前から「喫煙可能なコーヒーショップに入りたいというものですから、それで泣いて」と細かく説明したんですって。係の方も「お母さんも君のことを思って言っているのよぉ」と慰めたしなめてくれたとか(でも、2歳児にわかるはずもなく)。


赤ちゃんの時は抱っこしたりミルク飲ませたりしたらなんとなく気が紛れて、ケロッとしていたのに、だんだんと自我が出てきて、だからといって論理的に理性的に「駄目な理由がわかる」というほどの歳でもなく、「ジュースが飲みたい」のではなく、「ここでジュースが飲みたい」だから、どうにも説得ができないというんですね。

「タバコが臭いし、煙いし、ゴホゴホしちゃうよ」と言ってもわからないわけですが、よく考えてみたら、『大人だって、ちょっと喉が渇いたくらいでいちいち喫茶店なんか入らないわ、お店入ったら3-400円もしちゃうし、自販機で何か買うとか、持参しているなら水筒を活用するとか。そんな無駄遣いできないわ』・・などと色んなことが頭の中でぐるぐる巡ってしまったんですって。なんか、わかります。

で、ですね、

街ゆくおかあさんが、時々、号泣の子どもを引き連れていることがあります。そのシーンだけ見ると、「泣いているのに、おかあさんはそれをものともせずにずんずん歩いているなあ。子ども、かわいそうに」とちと思ってしまうこともあります。でも、実際にはその前に10分20分30分と悠久の時を使って、子どもを説得したり、子どもと話し合ったりしているんではないかしら。

おかあさんだって、いつまでもその号泣に付き合っていられないので、もう仕方ないとハラをくくって歩き始めているのではないかしら。
泣いている子どもを引き連れているおかあさんだって泣きたい気持ちなのではないかしら。

一場面だけ見て、短絡的に判断してはいけないんだなあ、と思ったのでした。

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そういえば、先日、オフィスの近くで、1歳半くらいのよちよち歩きの子がベビーカーに乗らないで歩く!と言い張っている(らしい)場面に出くわしました。ママは仕事帰りにその子をピックアップしたらしく、スーツに仕事用バッグにマザーバッグにベビーカー、そして、ベビーカーには乗らぬ1歳児。ママはその状態で横断歩道を渡ろうとしていました。

1歳児がベビーカーに乗ってくれれば荷物は減るのですが、ベビーカーを押しつつ、よちよち歩きの子の手を引いて横断歩道を渡るのは至難の業。なんとかベビーカーに乗ってくれ、と懇願しているんですね。「これに乗ろうね、横断歩道わたるからね」と優しく優しく言っている。

でも、1歳半は、まったく意に介せず、楽しそうによちよち歩いている。

間もなく信号が変わるという時、思わず、声をかけてしまいました。

「大変そうですね」
「ええ、歩くと言い張っているんです。乗ってくれないんです。」
「何かお手伝いしましょうか? せめて横断歩道を渡るまで」
「あ、ありがとうございます。でも、大丈夫ですっ! 抱いて行きますっ!」

そうい言って、そのママさんは、Babyを片手で抱っこし、自分のバッグを積み込んだベビーカーをもう片方の手で持ち上げて、すごい勢いで力強く横断歩道を渡って行きました。


ちっちゃい子を持つ親は大変です。でも、一方でパワフルでもあります。そして、子どもは皆そうやって親を困らせながら大きくなっていくんですねぇ。自分たちだってそうだったはずです。忘れちゃっているけれど。

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