「やったことない」から「できません」の”から”って?
本日2本目のエントリーです。
よく「やったことないから、できません」という部下・後輩がいる!という嘆きを耳にします。
「やったことない」+”だから”+「できない」
この”だから”は、なんか文章として変なのですなぁ。
「やったことない」から「できるかどうかは確証がありません」
とか
「やったことない」から「できるかどうかの自信がありません」
というならわかるけれど。
「できない」理由が「やったことない」って、やはり、変なのですなぁ。
なぜならば。
人間、生まれてこの方、「やったことない」ことを「やってみる」ことでしか、現在に至れていないからであります。
「おもちゃを握ったことない」から「握る挑戦」と「握る練習」をして、やがて「握れるようになる」。
「2本足で立ったことない」から「立つ挑戦」と「立つ練習」をして、やがて「立てるようになる」。
「足し算なんかやったことない」から「足し算に挑戦」し「足し算を練習」して、やがて「足し算ができるようになる」
「地下鉄なんか乗ったことない」から「乗ることに挑戦」し「乗ることを練習」し、やがて「地下鉄に乗れるようになる」
こんなことの繰り返しで、今があるのです。誰だって。
いや、もしかすると、バカボンのパパの息子「はじめちゃん」みたいな方もおいでかも知れませんが。
「やったことないから、できません」というのは、間を省略していて、
【やったことない→挑戦も練習もしない、する気もない→できない】
が真相なのではないかしらん?
クライアントに、あるいは、上司に、「これ、やってみてほしい」と言われたとします。
「やったことないから、できません」というと、なんかすがすがしく、堂々と断った気持ちになれるかも知れませんが、「挑戦する気も練習する気もないっす」なんて直接的に言ったならば、「こらっ!」と叱られるに決まってます。
怖い上司なら、「そんなことをいうやつは、そろばんの上に正座だ!」というかも知れません(←わかる人にしかわからない小ネタを挟んでみました)。
「やったことない」ことを依頼されたら、自分の身に降りかかったら、「ぎょぎょぎょ」っとするのはわかります。
年を重ねるにしたがって、リスクは避けて通りたいものになるし、できれば、面倒な努力や苦労をしたくないという「守り」の姿勢になる人もいるかも知れません。
でも、私はよく思うのです。
お客様にしても、上司にしても、絶対的に私にできないと思うようなことを依頼・相談するだろうか?と。
「この人なら何とかしてくれるんじゃないか」という期待値も込めてのお話ではないか、と。
(私だったら、「この人ならなんとかしてくれそう」「しちゃいそう」という人にしか相談を持ちかけませんし)
だとしたら、そこは、「やったことないからできません」ではなく、「やったことない、けど、やってみます」あるいは、「やったことはない、けど、やれると思います」、「やったことない、けど、挑戦します」・・・という姿勢でいたいなあ。
その結果、「ごめんなさい、力不足でした」ということはもしかするとあるかも知れないけれど、やる前にあきらめてしまうのって、なんか悔しい。
声を掛けられた時点で、可能性に掛けてもらったわけで、なんとかそれに報いたい。
それに、それに、
子供のころ、「やったことない」ことに果敢に挑戦して大人になれたのであれば、もっとリソースフルな大人になった今、「やったことない」を理由に断っていたら、ちとカッコ悪いんじゃないか、とも思うし。
3連休前の雑感でした。
Happy Merry Christmas!