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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

せつない電話。

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家庭に固定電話は必要だろうか」(大木さん)を読んで、思ったことをつらつらと。

家の電話を取り次ぐ経験を持たぬまま社会人になる新入社員が年々増えているような気がします。(当方比w)

ま、そりゃそうですね。だから、電話の取り次ぎがへたくそでも責める話じゃなくて、先輩が教えてやればいい話です。

それはいい。

ただ、「何が何でも帰宅する」「仕事片づけて、あらゆる用事を済ませて何が何でも自宅の電話の前に陣取る」そんな体験をしたことない世代が増えているということでもあるのですねぇ。

たぶん、40代以上の、あるいは、30代後半以上の方にはすごくわかると思うのだけれど、

コイビトから自宅にかかってくる電話を待つ、あの、せつなさ。
お風呂入っている時に鳴ったらどうしよう?と電話をお風呂までひっぱっていったり。

家族と住んでいる時は、「ちょっと、長電話しないでよね、その間にかかってきたらどーすんのよ」なんて焦ったり。

「頼む、お父さんは出ないで!」と祈ったり。

外出先でも、とにかく、急いで家に帰ろう、と思ったり。

たかが電話一本のために、急いで帰宅する、なんて、今日び考えられませんわねぇ。


懸命に息を切らして帰宅して、すんでのところで、電話が切れて、とか、
留守電ランプはともっているけれど、メッセージが残っていない、とか・・。家の電話を眺めて溜息ついた、なんて経験、だれでも持っていることでしょう。

「何が何でも帰宅しないと!」と懸命に努力してみるせつなさを、今は味わうこともないのですね、きっと。でも、せつなさは、減っていないのかもしれない。

今やいつでもどこでつながる。だからこその、別の「せつなさ」が増しているかも。

「いつでもつながるはず」なのにかかってこない電話。
「いつでもつながるはず」なのに返事が来ないメール。

昭和のせつなさは、「つながれるタイミングを逃すこと」に由来するのに対して、
平成のせつなさは、たぶん、「いつでもつながるはずなのに・・・」に由来しているのだなぁ。

いつの時代も、せつないものは、せつない。

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