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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「企業の若手育成」のイマ。大学でちとお話ししてきました。

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昨日(11/19)は、上智大学教育学科同窓会総会というのがありまして(1年に1回あるんだそうです。私は20年ぶりに参加したので、毎年開かれていることを知らず・・・・汗)、ちょっとご縁があって、総会に先だっての講演会で1時間ほどお話しをする機会を得ました。

40人くらいご出席だったのでしょうか?卒業後25年の私ですら、若造なキモチを味わえるほど、先輩の方が多い会で、しかも、学校教育の関係者が9割くらいでしたので、もう緊張して、緊張して。(後で名刺交換したら、その学校教育関係の諸先輩方は、ほとんどが校長・副校長なのでありました!)

●学生時代のいろんなことを知られている同窓生を前に、
●それも先輩の方が多く、
●ほとんどが教育のプロの方、

という「三重苦」の中、私がお話ししたのは、「企業の新入社員を育成する”OJT”のトレンドとそこで起こっている様々な課題」でした。

たとえば、昔は、「OJT」という名のもとに現場で放置されていたケースもあった、とか、配属先により、育てる・育てないの温度差があり、そういう問題を解消するために人事・人材開発が音頭取っているのだ、とか。

あるいは、「最近の若者は育ちにくい」というけど、そもそも、「環境が変化している(子供のころからグーグル先生が身近にいるなど)」「家庭も変かしている(家の電話を取り次ぐ経験をしなくても済むなど)」「社会も変化している(ちょっとしたミスすら許容できないような・・・など)」があって、若者自体の問題に帰するのは、気の毒なこともあるんだ、とか。

もちろん、OJTという制度があるからといって、若手自身が「誰かが教えてくれるからー。やったー。先輩はどんな”サービス”を私に提供してくれるんだろう?」などと受けの姿勢でいてはダメで、ちゃんと自分から学んでいく必要はあるのだけれど。・・・だから、OJTというのは、「教える・仕込む」というよりも、「どうやって若手がサバイブできる力をつけさせるか、つまり、”学ぶ力”を身に着ける支援ができるか」がポイントなんじゃないか、と・・。そんなことをお話ししたのであります。

いつもは、パワーポイントなどを使うのですが、投影なし、配布なし。とにかく、話術だけでの1時間というのも初挑戦。

話している内に、右足のふくらはぎがぴくぴくしだし、後半30分は、ずーっと脚をつったまま。終了間際には、左足までつりまして、どんだけ緊張しているんだ?!と我乍ら笑ってしまうほどでした。

さて、企業にお勤めな方がお2人しかいらっしゃらない中、私の話はどれほど意味があったのだろう?と不安でいたら、その後の懇親会で、色んなお声を聞き、とても勉強になりました。

全部は一度に書けないので、自分の整理のためにも、しばらく連続で書いていくつもりです。


まずは、以下のお話。

「ある企業で、ビジネススーツなのに、スニーカーソックスを履いてくる新人君がいて、人事の方が、”それはおかしいからやめなさい”とたびたび指導しても、”おしゃれじゃないから嫌だ”と言い続けていたケースがあり、・・・そういう、ちょっとしたことでも扱いに苦慮しているのですが、配属先の先輩に、”そんな靴下では、客先に連れていけない”と言われたら、ちゃんと直ったそうです」

という例をご紹介しました。


すると、「さっきの、靴下の話。あるある!と思ったわー」と同級生が。

「うちの息子が制服にスニーカーソックスを履いていくのよ。違うでしょ?と何度言っても聞かなくて。カッコいい、の基準が違うのよね。」

あるいは、他の方からは、

「先ほどの靴下のお話しね、企業の方は、”家庭のしつけはどうなっているのか?”と思われるかも知れないけれど、私たち親は、散々言っているのですよ。言っているけど、親の言うことなんか、絶対に聴かない。企業で厳しく言われて、ようやく、目覚める、というか、しゃんとする面もあるのではないかしらと思いました。・・・そう思うと、家庭の教育って、限界があるのかも知れないわねぇ・・・」とも。


・・・ なるほどぉ。そうなのだなぁ・・・・。


靴下は一例だけれど、「家の電話くらい取りなさい。会社に入ったら苦労するわよ」とか「正しい敬語でお話しなさい。せめて、先生とはちゃんと丁寧にお話しすること」などと親御さんは、きっと口うるさく言っているのでしょう。

それでも、「親に言われたことなんて」、聞く耳を持つ子供のほうが珍しいのかも知れず、(「若い」は、「反発」と同義語みたいなところがあります)だから、「敬語もちゃんと使えない」「妙なファッションで通勤してくる」といった若者もたまに出現する。

企業側は、「家庭のしつけはどーなっているんだ?」とときにフンガイ、あるいは、呆れるのだけれども、親御さんだって手をこまねいているわけではない。親ができることはしているのだなぁ・・。

・・・となると、となると、

親とか企業とか、そういう話ではなくて、やはり、究極的には、「若者自身」の問題になってくるのではないかしら?

つまり・・・。

親に反発しようと、親の言うことをことごとく無視しようと、それは全然かまわない。親子関係なんてそんなもんでしょうし。特に若い時は。

一方、家庭ではそれで通ったかも知れないけれど、「働く」というステージに入った時、そこからは、自分の足できちんと立たねばならない。
教えてくれないからできません、とか、今まで敬語使わずに来たから、「いただく」と「めしあがる」の区別もできません!なんて堂々と胸を張って言ってる場合じゃなくて、きちんと「働く大人」としての常識レベルを自ら学ぶ必要があるんじゃないだろうか。


親からの大切な、ありがたい言葉を無視してきた代わりに、
社会に出たら、そういう言葉の意味を自分が見直し、「習わなくても敬語を使えるようになっておく」(敬語というのは、本の一例ですよ)ということは、できてもいいのかも知れません。

仕事に直接かかわることは、仕事に就いてから学べばよいけれど、大人として生きていくための”基本”みたいなことは、自ら意識的に学ぶことが、若手自身に求められているのだなあ、と改めて思ったのです。

多くのお父さん・お母さんに昨日はお会いしましたが、げに難しきは、子育て・・・かな^^;・・・


ところで、我が母校。在校当時と比べると、ずいぶん校舎の建て直しが進んでいますが、「1号館」という、正門から入って右側にあるとてもレトロな校舎だけは温存しています。今でも授業で使っているみたい。


あまりにレトロでステキ過ぎて、写真撮ってきました。老朽化も進んでいると思いますが、メンテしつつも、保存してほしいと思います。


【上智大学1号館】

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絵になりますよね。上智の購買で売っている「絵葉書」にも使われていましたが、今もあの絵葉書は売っているのかな?

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