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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「自分ならもっと上手くやれる」という信念

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同僚の横山哲也が「スティーブ・ジョブズからのプレゼント「知的自転車」」というブログを書いている。ジョブズ氏への追悼文である。

この中に出てくる

「自分ならもっと上手くやれる」という信念

という言葉にぐぐっと来てしまった。


たまに、こんな風に言う人に出会うことがある。

「上司が言った通りにしたのに、何か問題ありますか?」
「前任者と同じようにしているだけ、ですけど」
「さあ、前任者から引き継いだだけなので、”なぜそうなっているのか”は、よくわかりません。」
「細かく指示してくれたら、その通りにやりますから」

・・・・

それで楽しいのかな?と思う。

上司から指示された仕事であっても、同僚から引き継いだことであっても、「この通りにやればいいからね」と言われたとしても、「自分ならもっと上手くやれる」と思って取り組むのと、「同じようにすればいい」と事に当たるのでは、結果が異なるのではないか。

「いや、だってね、お客様が”前回と同じようにやってくれればいいから”とおっしゃって、改良を求めないんですよ」という反論もあるかも知れない。

だけれども、「前回と同じように」と言う顧客は、「新しいやり方」「もっとよい方法」を知らないから、「前回と同じように」と言っているの可能性もある。

たとえば、行きつけのレストランで、「あの料理が大好きだから、いつもの定番の●●をお願いね」と、客は常に同じメニューを求めるとする。給仕する側は、「はい」といっていつもいつも同じ料理を出し続けることはできる。

でも、その時、「お客さま、新しいメニューを考えまして、お口に合うと思うので、よろしければ、そちらもいかがですか?」と尋ねてみたら、もしかすると、「え?そうなの?じゃ、新しいメニューも試してみようかな」と思うかも知れない。


あるいは、「え?それは、どういうもの?・・・あ、なるほど。それは興味あるけど、今日はいいや、いつもの出して」と、結局はいつも通りのmenuで落ち着くかも知れない。

でも、いつも通りのmenuで落ち着いたとしても、「新しいmenuを知らないで、いつもと同じで」と注文するのと、「新しいmenuも聞かされた上で、いつもと同じで」と答えるのでは全然意味が違う。

製品やサービスを提供する側は、その受け手がいくら「いつもと同じでいいよ」「前回通り踏襲して」と言ったとしても、やはり、「自分ならもっと上手くやれる」「今回は前回よりもっといいものを提供できる」という思いを持ちつつ、何かを提案していくべきだと思う。

それは、時に、相手をより喜ばすことにつながるし、自分の成長にもうんと寄与することだからだ。自分が成長したら、今よりさらに良いものを顧客(などの相手)に提供することができる、という好循環も生み出す。


仕事が「楽しくない」「やらされ感いっぱいだ」という人がたまにいる。もちろん、「俺の言うとおりにしろ」「工夫なんかしなくていい」という上司もいて、自分の創意工夫が受け入れられないというケースもなくはないだろう。

でも、もし、自分の考え、アイディアを持ち込める余地が少しでもあるなら、「自分ならもっと上手くやれる」と考えて、提案してみたらいいのだ。(言わずに「どうせ言っても無駄だ」と諦めている人だって多いと思う)

ベテランだけでなく、新入社員だって、「自分ならもっと上手くやれる」という信念に基づいて行動することはできる。

そういう人こそ仕事を楽しめる人ではないかしら?

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