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交通事故

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10月の終わり。寒い雨の日のできごとです。

仕事に向かう途中に交通事故に合いました。

街中の細い路地。信号もなく、見通しも悪い交差点。
道路標識によれば、私のほうが優先の道路。

交差点も中盤に差し掛かったころ。
突然、左に白い物体が、勢いよく飛び込んでくるのが見えました。

「ぶつかる!」

瞬間的に右側に身をそらした直後

「ドンッ」

という鈍い音とともに
左側から、軽自動車が突っ込んできました。

「困ったな~」
「お客さんに電話しなきゃ」

そんな思いが頭の中を瞬間的に流れながら、
車を安全なところへ移動して、車を降りると、
小柄のおばあさんが、少しおびえたような表情で立っていました。

(ここは、こっちが動いたほうがよさそうだな)

呆然と立ち尽くすおばあさんに、

「大丈夫ですか?今、警察に連絡しますね」

と声をかけました。

携帯電話を右ポケットから取り出し、警察へ連絡。

「どうされました?」
「事故です。交通事故です」
「今、どちらですか?」
「○○の近くの交差点です」
「負傷者はいますか?救急車を呼びますか?」

(おばあさん、大丈夫なのかな?)

「どこか痛いところありますか?救急車呼びますか?」
「ちょっと、胸のあたりが・・・」
「救急車、呼びます?呼んだほうがよさそうですね」
「はい」

「救急車を呼んでください」
「わかりました。では、5分ほどで到着します」

電話を切ると、おばあさんが車の中からかさを持って、
「アイアイ傘」をしてくれました。

「すみません・・・」
「大丈夫ですよ。それにしても、困っちゃいましたね。」

携帯電話のメモリをいじりながら、
仕事先に事情を話し、キャンセルの電話。

それからしばらくして、
救急車が到着。

おばあさんは病院へ運ばれていきました。

警察も到着して、
取り残された私は、事情を聞かれました。

「運転手さん、この道は良く通るの?」
「いいえ」
「運転手さんも、街中なんだから注意しなきゃ。街中っていうのはさ・・・」

(おまわりさん、それは分かるけど、
 何で、おれ、怒られてるんだろう?)

そんな気持ちを抱きつつ、事故処理を追えました。

緊張感が解けたら、なんだか、意が痛くなってきました。

(これはストレスからくる、あの痛みだな)

左手で胃を抑えながら、
車屋に電話。

キャリアカーは到着までに30分くらいかかるとのことで、
しばらくそこで待っていることにしました。

「あ~、ついてないな」

こんな気持ちが思い浮かびます。

「なぜ、このタイミングで事故が起きたのだろう?」

もちろん、そんなことは分かりません。

「もし、僕があと数秒早く、もしくは遅く通りかかっていたら、
 この事故は起きなかったんだよな。」

「もし、おばあさんが、あとちょっと早く通りかかっていたら、
 もしくは、遅く通りかかっていたら、
 この事故は起きなかったはず。」

「一時停止を無視してぶつかってきたのはおばあさん。
 だから、事故の原因はおばあさんということは明白。
 でも、僕がここにいなければ、この事故は起きなかったのも事実。
 そういう意味では、
 僕がここにいたということ自体、僕にも何かしらの関連があるはず。
 一体、どんな意味があるのだろう?」

左側が大きくへこんだ車を見ながら、
そんなことを考えました。

思いにふけっていると、

「それでも、加害者じゃなくてよかった」
 怪我がなくて本当によかった。」

という思いが、どこかしらかから浮かんできました。

「加害者じゃなくてよかった。」

こう思えたとき、
冷たい雨の中で、
少し、気分が晴れた気がしました。

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なぜ、事故のことを書こうと思ったのか……
それは、私にもよく分かりません。

でも、なんとなく思うのは、

「あの時、もっと激しく突っ込まれたら、
 死んでいたかもしれないんだよな」

そんなことを思ったら、
何か、書きたくなりました。

僕の車は左ハンドル。
交差点では左側からノーブレーキで突っ込まれました。
何も怪我がなかったのは、ひょっとしたら奇跡なのかも。

私たちはつい、安心とか、安定とか、確実なものを求めてしまいます。
そういう、生き物です。

でも、本来はいつ、事故で死んでしまうのかも分からないほど、
不確実な中で生きています。

だから、あれだな。

不確実性に向き合うこと。
今、その刹那、刹那で、できることを一生懸命やること。

こんなことは、すごく当たり前のことなのですけれど、
当たり前のことが、意外と大切なのかもしれません。

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後日、おばあさんの息子さんが、我が家を訪ねてきました。
おばあさんは胸を打ったものの、大事には至らなかったとのこと。
よかった。

僕の車は、10年選手。
気に入っている車なので、まだまだ大切に乗ろうと、
先日、部品も交換してメンテナンスしたばかり。

その車が、痛々しい傷を負ってしまったことは残念です。
(保険屋さんによれば、修理に100万以上かかるのだとか。)
ひょっとしたら、廃車になってしまうかもしれません。

でも、

不確実性に向き合うこと。
今、その刹那、刹那で、できることを一生懸命やること。

このような当たり前のことは、
事故がない限り、考え、気づく機会はありませんでした。

「モノはいつか壊れてしまうもの。
 モノが壊れただけでよかった。
 今度、新しい車が買えるようにがんばって働こう。」

少し時間が過ぎて、
今は、そんなことを考えている出来事なのでした。

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