訪日観光客2000万人時代の通訳ガイドのあり方〜インターネットを販路にする
2013年は訪日観光客が初めて年間1000万人を超え、観光庁は次の目標を年間2000万人に据えています。そこでキーになるのが、通訳案内士法に基づく国家資格である通訳案内士(通訳ガイド)です。
通訳案内士は、報酬を得て、通訳案内(外国人に付き添い、外国語を用いて、旅行に関する案内をすることをいう。以下同じ。)を行うことを業とする
現在はいくつか例外的な資格が用意されていますが、通訳案内士法により、無資格で通訳案内を行うと処罰されます。
「インターネットの発展でガイドなしでどこにでも行けるから、通訳案内士はもう必要とされないのではないか」という疑問は、通訳案内士を目指す方の中からもぶつけられることもありますが、筆者の意見は異なります。単に行けるかどうかが判断基準であれば、ほとんどの所ではガイドは不要でしょう。しかし、日本人としてのアイデンティティをもち、高い教養があるガイドが案内すれば、ガイドブックに書かれているような行き先であっても旅行の質が飛躍的に高まると考えます。
筆者自身の経験でも、2008年にバリに旅行して現地のガイドに案内をお願いしたときには、何気なく教えていただいた情報にハッとしたことが何度となくありました。それは、現地で生まれ育ち、歴史、文化、慣習などをよく知っているガイドだからできたことだと思います。
筆者は、東日本大震災の日に通訳案内士の登録証を交付され、通訳ガイドとして活動するきっかけを失いました。そんな筆者が、期せずして国内で日本人を相手にガイドする状況になったことがあります。それは、気仙沼にボランティア活動してきた帰りのことでした。東北で生まれ育った筆者が、北緯38度線が白石市付近にあること、油麩が本来はお盆のころの食べ物であること、福島や山形で食べている玉こんにゃくなどを何気なく説明したのですが、東北にゆかりのなかった同行者の方たちがとても喜んで聞いてくださったのでした。
こうした経験から、ガイドブックを読めば分かることを語るのは、通訳案内士の仕事ではないと考えるようになりました。繰り返しになりますが、日本人としてのアイデンティティと、本当の意味での教養が求められると思うのです。
通訳案内士の制度が整備されたのは1907年(明治40年)で、すでに1世紀以上もの年月が経っています。悪質な業者を排除し、民間外交間とも称される通訳ガイドに一定の資質を求めることが目的とされています。また、外国の諜報活動を防止する目的もあったと言われます。
大前研一さんは学生時代に通訳ガイドとしてアルバイトし、学資を貯めて自力で大学院に進学したという話もあります。当時の為替レートでは非常に割のよいアルバイトで、東京から京都まで1度付き添うと1カ月はゆうに暮らせたということです。
現在では旅行会社から支払われる日当が20,000〜25,000円程度で、旅行会社からある程度コンスタントに仕事が入ったとしても、なかなか生活が安定しません。このままの状態では、訪日観光客が何万人になろうとも、日当は上がらないと思います。しかし、この状況はインターネットを活用すれば変えられるはずです。 具体的には、富裕層のFIT(パッケージツアーでない旅行客)をターゲットに、ホームページで集客すればよいのです。もちろん、ホームページがありさえすればよい訳でも、SEO(検索エンジン最適化)に励めばよい訳でもなく、工夫が必要になりますが、きちんと収益を上げていくことは可能だと考えます。
筆者は経営コンサルタントであると同時に通訳案内士(英語)でもあるので、通訳案内士が置かれている現状を何とかしたいと思っていました。そこで打開策として考えたのが、上記のアプローチだった訳です。
今年6月末から、通訳案内士および受験中の方を対象にしたホームページ制作セミナーを行うようになりました。次回は11月29日に開催予定ですので、ご興味のある方はDoorkeeperの「通訳案内士×ITコミュニティ」の「通訳案内士向けHP制作セミナー(#4 入門編+#5 実践編)」イベントをご覧ください。
これはささやかな活動ではありますが、大仰に言えば通訳案内士のあり方を変革する試みであり、訪日旅行ビジネスの発展にも寄与すると自負しています。