メディア産業のビッグバンが始まった
ライブドアとフジテレビの攻防からわずか半年ほどで、今度は楽天がTBSの筆頭株主になり、TBSに経営統合を提案した。このニュースが流れたとき、わたしは民法テレビ局に勤務する中堅社員の男性から聞いた話を思い出した。ちょうどライブドア問題が決着して1か月ほど経った時期に開かれた懇親会の席だったので、参加者はビールを飲みながらこの話題で盛り上がっていた。
彼によれば、テレビ局の番組制作担当者の目からみると、ネット業界はなぜ自分たちでブロードバンドに適したコンテンツをつくらないのか不思議でならないのだという。というのは、かつてテレビも同じ立場に立たされた歴史があるからだ。
草創期のテレビ局は番組づくりに苦労し、映画界の協力を得ようとした。テレビで映画を流したい、テレビ番組に人気の高い映画スターが出演してほしい、と考えたわけだ。しかし、日本の映画界はあまり協力的ではなかったらしく、テレビ局は自分たちの手で人気番組をつくり、テレビタレントを育てあげた。だから、ネット業界もテレビに頼らず自らコンテンツを制作するよう努めるべきだというのだ。
彼の意見は、テレビ局の資産を安易にネット業界に利用されたくないなどといった狭い了見から出たものではなかった。テレビとネットでは、収益構造や企業文化があまりにも違いすぎる。それを無理やり結びつけようとすれば、膨大なエネルギーとコストを費やすはめになるので、ネット業界は独自にブロードバンドコンテンツを制作したほうがはるかに合理的だという判断にもとづいていた。
テレビはインターネット放送と比べ、視聴者数が多いだけでなく、メディアとしての影響力もはるかに大きい。全国で100万世帯が見た番組があるとすると、インターネットでは大成功だろうが、テレビではたかだか2パーセントの視聴率(総世帯数は5000万)なので失敗と言われるのかもしれない。
一方で、コンテンツ制作費の規模も違う。インターネットでは素人が手軽にビデオ映像を配信できるが、テレビは完全にプロフェショナルな世界で、録画用のカメラ機材は数千万から1億円もするそうだ。設備を除いた制作費を比較しても2ケタから3ケタの違いがあるらしい。
ネットの常識でいえばため息が出るほど、テレビでは巨額の資金がコンテンツ制作に投入されている。しかも、1回限りの番組配信を前提に制作されていて、二次利用、三次利用はあまり考慮されていない。
これは、むろん著作権の問題が大きいのだが、それだけでなく二次利用が増えても経済的メリットが出ない業界構造になっているためだとテレビ局の彼が教えてくれた。とくに下請けの制作会社は「新しい番組をつくってナンボの世界」なので、何度も繰り返し視聴されるような時間をかけた良質の番組制作が民放ではなかなか困難だという。
また、人気タレントを抱える事務所は、タレントの露出をコントロールしたがるため、ネットはおろか衛星テレビでさえ出演を渋るケースが多いという。テレビがニューメディアだった頃に映画スターが出演したがらなかったのとよく似た状況がいまも繰り返されているのだ。
ただ、「放送と通信の融合」はそれほど新しい話題ではない。国の情報政策を振り返ると、旧郵政省が1994年7月25日に「21世紀に向けた通信・放送の融合に関する懇談会」の初会合を開催している。ここを出発点とすれば、現在までに実に11年もの歳月が流れたことになる。技術進歩のスピードと比べると、あまりにゆっくりと政策議論は行われてきた。そして、通信業界も放送業界も本音では懐疑的なまま11年間が過ぎてしまったといえるだろう。
その間に、とくにここ数年間で海外では状況が大きく変化した。日本でもインターネットテレビ(IPTV)で世界に先行する動きがあった。にもかかわらず、放送法と著作権法との間で「放送」の解釈が一致しないなどの問題のため、結果として事業者は「待った」をかけられる状態が続き、出遅れてしまった。
このような膠着状態に風穴を開けたのがライブドアだ。もっとも、ライブドアの狙いはポータルサイト事業でヤフーに追いつくことにあり、最初から「放送と通信の融合」を真剣に考えてフジテレビとの交渉に臨んだわけではなさそうだ。
だから、堀江貴文社長ご本人よりもむしろ周囲のほうが、ライブドアが保守的なテレビ業界に体当たりで突撃して「放送と通信の融合」への対応を迫ったと解釈したがったのかもしれない。
それからわずか半年の間に、テレビとネットをめぐる環境は激変した。
野村総研は5月31日、HDR(ハードディスクレコーダー)の利用でテレビCMのスキップが常態化したため、2005年の年間テレビ広告費の損失総額は約540億円になるという試算を発表した(報道資料)。この調査レポートは楽天の三木谷浩史社長も今回の記者会見で引用していたが、テレビ業界にとってはかなりの衝撃だったに違いない。
さらに、決定打となったのは今夏の国の政策転換である。総務省は2005年7月29日、「地上デジタル放送の利活用の在り方と普及に向けて行政の果たすべき役割」と題する情報通信審議会の第2次中間答申を発表し、2006年をメドにテレビの地上デジタル放送をインターネット経由で各家庭に配信できるようにする方針を表明した。
これは、長い膠着状態から脱却して「放送と通信の融合」を全面的に推進するという国の決意表明だと受け取れるだろう。総務省の発表と前後して、テレビ各局は相次いで番組のインターネット配信サービスを開始すると発表した。
メディア産業のビッグバンが始まった。
インフラを提供する通信産業ではすでにIP(インターネット・プロトコル)化への移行に伴い、大型合併や買収による業界再編が進行している。次はコンテンツの番だ。大手メディア企業同士、あるいはメディア・通信・ITの企業間で大型の合併買収がいよいよ日本でも始まるかもしれない。
楽天が動いたのは、そう見えた矢先だった。TBSの筆頭株主になった同社の三木谷浩史社長は本気で「放送と通信の融合」を考えているはずだ。
放送業界と通信業界は長年の議論を通じて、互いのビジネスとカルチャーの違いをよく認識している。ネット主導で無理やり統合しようとすれば、多大な摩擦とコストが生じることを、三木谷さんは先刻承知ずみだろう。
楽天がこの困難な統合に成功し、新たな巨大メディア企業へと発展するには、テレビコンテンツの新しいビジネスモデルの構築が課題となる。そのためには、現場の番組制作者たちの協力が不可欠になると思われる。
1回限りの視聴を前提とした番組づくりではなく、何度も繰り返し視聴される良質の番組をつくりたいと願っているテレビ関係者はきっと多いはずだ。そうすることで、実際に番組をつくっている人たちが利益を得られるように、インセンティブの仕組みを変革することはできないだろうか。
わたしは、この問題の解決に「放送と通信の融合」の突破口があるような気がしてならない。