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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

それはもはや散歩ではないと言われる土日のルーティン

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1年ほど前までは仕事で平日にめちゃめちゃ歩いてました。足掛け7年ほどの期間、10キロ以上の機材資材工具その他を背負ってひたすら電車とバスと徒歩で現場を移動する仕事だったのですが、諸般の事情でいきなり100%デスクワークの仕事に変わりました。そこに至った事情や状況について詳しく書くと語弊があるのでそのうちかいつまんで書こうかと思ってるのですが、それはそれとして、今日の本題は「それは散歩というのか?」というお話です。

いや別に何か凄い事をしてるわけじゃないんですけど。

45年ぶりの「食べる量が減らないのに運動量が減るとどうなるか実験」

思い起こせば中学3年の夏休みが明けて所属していた水泳部を引退したとき、いやその頃は典型的な「運動量が減ろうが何しようが眼の前の飯はイナゴの大群のごとく平らげる勢いを止める術を知らない運動部引退直後の中学生」だったんですが、当然の如くあっという間に体重が増えました。泳いでいた当時は確か身長170センチ弱に体重が58キロくらいで比較的細かったのですが、2ヶ月であっという間に10キロ位余計に成長しちゃいました。

あまりに期間が短くて身体全体が膨らむのではなく純粋にお腹が出てきて流石にヤバいと思い、慌てて飯の食い方を変えた記憶があります。並行して顔が膨らんだのですが、顔の皮膚は急には伸びないので口の中が狭くなってやたらと奥歯で口の中を噛む事態に。それはその後少し収まりましたが、身体全体はその後高校生になってからも微妙な感じだったので「出る腹は気合で引っ込めよう」とアホなこと考えて胸を張って胸郭を膨らまし、腹を引っ張りあげてそこにしまい込むみたいな意識で成長期の最後の3年間を過ごしてたら高校を卒業する頃には胸囲が15センチ増えてウエスト周りは10センチ減り、体重は60キロ台半ばに落ち着きましたが、中身的には筋肉は全然無いのにぱっと見はそれなりの体格に見えるというハッタリだけの人になってました。

で、一応その状態は今でも比較的維持できていて胴回り80センチに達した事は無いので健康診断の問診のときに「お前はメタボや」と宣告しようとしているドクターや看護師の方をがっかりさせることはできるんですが、胸郭を無理やり広げてしまった影響で肩甲骨や鎖骨の動きがスムーズでなくなりがちで肩とか上腕が時々おかしくなって亜脱臼しそうになるとか変な持病を抱えちゃったんで自分の子供には「無理するな」と言って「普通はそんな無理しない」とアホ扱いされたりする弊害が起きています。

それはともかく、消費しきれない各種栄養素の取りすぎが身体じゅうの不具合に結びつくのは生き物としての人間の宿命でしょうか。

いや別に何か生死に関わるような事起きてるわけじゃないんですけど。

生活が激変したことで身体のあちこちの悲鳴が聞こえるように

正直、60を超えても重い荷物を背負って歩き回る生活で身体に何も起きないわけはありません。実際30年前に内側靭帯をかなりひどく痛めた左膝が数年前から明らかに悲鳴を上げていて、更にそれをかばうために右膝も悲鳴を上げ始めていました。実は今でも小走りに信号を渡るとか駅の階段を駆け上がる程度なら走れるんですが、まともにランニングするとその日の夜には膝が痛くて立ち上がれなくなります。

更に足首も重量と歩行距離にむき出しでは全然耐えられない保たないのでスーツを着る必要がないなら仕事とプライベート何れも実は基本的にブーツを履いています。それも小洒落たドレスシューズの延長みたいなのではなく世の中的にコンバットブーツと呼ばれるようなやつで、選ぶのはそこに踏み抜き防止の鉄板とかつま先に保護カップとかが付いていないパチモンじゃなく実物の「歩くためのコンバットブーツ」です。

あ、実は過去からガチな安全靴が必要になる場も無くはなかったので、これもずっと自前で持っていたりします。今あるのはキャタピラー・ブランドの一番でかくてつま先のカップと底に釘等の踏み抜き防止のプレートが金属でめちゃめちゃ重く強力なモデル(片足だけで1キロ近くあります)で、これは日本で通常売っていないので個人輸入で靴にかかる高い関税払ってアメリカのAmazonで買ってます。過去30年ずっと持ってて、今のは3代目。でも私が履くレベルだと本当に長持ちします。因みにこれで誰かを蹴ると冗談抜きで傷害事件になります。

ただ、仕事の内容が変わったので、安全靴は流石に出番を完全に失いました。
それに対して「歩くためのブーツ」は出番があります。だって、いくら飯の量を減らして体重コントロールしても動かしてないと身体はやっぱり壊れますから。

土日を中心に休みの日は基本10Km前後は歩いています

雨や雪じゃなければ暑くても寒くても土日最低でもどちらかは10km前後は最低、長いときには20Kmくらい迄は歩くようにしてます。途中で休むので実際の行動時間は4時間から5時間くらい。朝10時過ぎに家を出て、返ってくるのは15時とか16時くらいがいつもの流れ。コースは自宅を出て目標としてる場所まで歩いて電車やバスなどで帰って来るパターンが基本ですが、2時間歩いて行けるところまで行って、別のルートで家まで歩いて帰ることもあります。

よく歩くのが横浜北部の自宅から港北ニュータウン方面や、自宅付近を流れる鶴見川を下って日産スタジアムのある新横浜、あるいは国道246号線を西に大和市方面で、たまに東に二子玉川あたりまで。(すいません。分かる人しか分からないですね)

このルートだと公共交通機関が何かしらあるので最悪歩けなくなっても帰れるんですが、家人や知り合いからは「それは最早散歩じゃないだろ」と言われてるのは事実です。まぁそれでも歩けるうちは歩いていたほうが家に帰ってからの酒が旨いしとか変な理由つけて歩いてます。基本のルートがある程度決まってきて周囲の寄り道コースの探索ができる段階まで来たので、それらの目的地に向かう場合には最早Google Mapsとかの道案内は要らなくなりましたし、目標を決めたら移動時間や途中のコンビニ、チェーンのコーヒーショップなども殆ど頭に入ってしまいました。

元々趣味というものを色んな理由があって殆ど過去に置いてきた人なのですが、倒れない限り誰にも迷惑かけないしお金もかからないしってことで、先週の週末も炎天下20Kmくらい歩いてたりしてました。

ただし、歩かないとココロが保たない時期が割と最近もありました

実はちょうど1年前に今の仕事に変わる前後、自分の中で割と大きな方向転換をすることを決めて、でもそれを決めた自分の中で落ち着かなくて「このままでは不安定になる」というのが過去の自分の経験からも判ってきてしまったので、前職で退職の意志を伝えた後の最終出勤日を挟んだ空白期間には毎日かなりの距離を歩いていました。

期間的には2ヶ月ちょっとでしょうか、もう殆ど毎日10kmから15kmくらい歩いてました。
それまでの生活から急に歩かない生活になると身体が壊れるという恐怖もありましたが、メンタルの部分の方が自分では怖かったんですね、実は。

で、歩きすぎだと心配する娘や妻に「色々あるから、身体に負荷をかけないと寝れないんだよ」と話したら「負荷の方向が違う」と怒られたのですが、一応自分の身体のことは気をつけながら頭を空っぽにしながらひたすら歩いてました。

そんな私は昔から人生100年時代とかクソ喰らえと思ってて、自分が誰かのお役に建てなくなったら即お迎えがこないかなと真剣に思っていたりします。更に言うと定年だから新しいことにチャレンジしようといった妙な定年おじさんの気持ちとか、いきなりそば打ちとか喫茶店とか手作りパン屋を始める気概とか、更には引退して楽して暮らせる貯金も全く持ち合わせていません。

それでも家族に恵まれ、更には巡り合わせとご縁と何故か40年前からの経験のお陰で今でも「普通」に通信業界の最前線の末席に身を置けていることには感謝する以外無いのですが、それに感謝しつつ週末の炎天下でペットボトルの水やスポーツドリンクを全て汗に変換しながら歩き回れていることにも感謝したりする程度の気持ちにはなれました。

まぁ、人生色々ですね。

---iwa

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