広告投下量で論調の変わるメディアと変わらないメディア両方の存在を信じる
例のアメリカの大統領選挙の結果を受けての評価の中で、メディアにおける扱いには広告投下量の違いがあるんじゃないか論があります。結果の評価自体は、選挙システム自体がもたらした結果と得票の差の話、いや、その前のアメリカ社会そのものの状況の話などが全部絡み合うので一言で表すことは非常に難しいのですが、とりあえずここではあくまで広告投下量の話から。
広告投下量からの評価って違うんじゃないか
最初から結論めいたことを言うと、個人的には少なくとも選挙結果の検証の方法として時々目にするトランプ陣営の広告量とメディアの扱いを比較する方法は間違いだと確信しています。そんなのは枝葉の話であり、大統領選挙戦が始まる以前から本質的にドナルド・トランプ氏自身を昔から多くのメディアが嫌っていた事を理解してない気がします。シンプソンズなどの漫画も含め遥か昔からありえない未来として彼が合衆国大統領になる話があったくらいなんですから。
確かに選挙システムの中で広告が重要な役割を果たしているのは事実だと思います。それは選挙運動において広告の活用が非常に厳しく制限されている日本の状況を踏まえると、ある意味理解不能とも思えるメッセージの応酬の場になるのを理解するのが難しいのは事実だと思います。
因みに広告投下量が多いということは選挙資金が豊富であることの証拠でもあり、使いすぎて資金が枯渇してレースから降りることもあるのも事実で、広告自体が一定の認知やら存在証明の裏書になるのは事実だけれど、あくまでもそれは選挙活動の話。広告が多いからメディア自体がネタとして取り上げるかというと、そんなに単純な話ではないはずですし、事実そんなことは無かったと思います。
結局のところマーケティングとパブリシティじゃないかという暴論
結局のところ、広告投下量より社会環境とターゲットたる国民の状況を読みきったマーケティング及びパブリシティの関係と役割を見るべきだと思っています。その観点からいくつかの解説がそろそろ出てきていますし、実際に政権立ち上げ時のホワイトハウスのスタッフの布陣を見ると、なんとなくそれが透けて見えるところもあります。ただし当初から政治家として大統領を目指していたわけではないトランプ陣営にきちんと最初からグランドデザインがあったわけではなく、「有能な」スタッフがきちんと機能した結果なわけで、SNSだって本人が書くわけもなく、遊説で回る地域を本人が決める訳もなく、暴走する本人をどこかで抑えつつ必要な情報を分析しインプットする本人が信頼するスタッフがいたからじゃないかと思っています。
逆にいうと、メディアが常に「比較的」好意的に扱っていたヒラリー・クリントン氏が得票で勝ちつつも選挙システムで負けたのは広告投下量と比例する部分がたぶんありつつ勝負に負けてる証拠ともいえるんじゃないかと思います。
たとえば「メディアの情報からみるとどうせヒラリーは勝つから、俺が投票に行かなくてもいいでしょ」あるいは「どうせヒラリーが勝つんだから、試しに俺はドナルドに入れてみようか」と言った行動をした人がどれくらいいるかなんて分析がそのうち出てくると期待してます。閾値は決められませんけれど、一定数こういう人が居たとすると、これはむしろメディアがヒラリーから引きはがした有権者という位置づけになるかも知れません。
いずれにせよ、歴史的に単純にメディアの取扱いがどうだったかということと選挙の結果がこれほど乖離した国家レベルでの選挙ってあまり聞いたことが無い気がします。
ところでメディアは広告投下量に比例して広告主の有利な事を書くのか論
因みにどうでも良い話ですけ、私自身は過去の宣伝やマーケティング等の色々な仕事をやって来たお陰で例えば広告の量が記事内容を左右するメディアがいるのは経験的に知っていて、多分その存在は未来永劫消えることはないと思っています。
いわゆるネイティブアドの世界は記事とは思っていないのでその対象外ですが、主要広告主の不利になるネタは基本的に書かないというメディアはあるし、居て当然だとも思っています。だって営利企業ですし、その行動原理はその企業が決めることですから。
ただしあるべき姿として編集と広告営業を完全に切り離しているメディアも(今でもたぶん)多数あって、結果的に過去に於いて「うちの事を悪く書くあそこに何故広告を出すんだ」と現場から怒鳴り込まれても「事実なら仕方ない。間違いなら訂正を求めるのが筋。但しそれは広報の仕事で、宣伝担当に言われても困るから止めてくれ」とキッパリと啖呵を切った経験はあります。その相手は少なくともその時点ではそれくらいの信頼に値するメディアだったからなんですけど、そういうメディアは今でもいると信じているし、当然アメリカにもいると信じているし、よく言う「だから大マスコミがー」とか十把一絡げにはしない方が良いと思っています。
そもそもそういう風に言う人ほど、その「大マスコミ」が何を書いてるかをひたすら気にしてたりするんじゃないのとか思ったりしますし。