「撮影し逃げ遅れも」という見出しに思うこと
まず、御嶽山の噴火に伴い被災された皆様にお見舞い申し上げます。
また救援活動に携わっている関係各位に対して深く敬意を表します。
今回の御嶽山噴火に伴う状況は既に各種報道機関等を通じていろいろと伝えられているわけですが、ふと目に留まったのが毎日新聞さんの「御嶽山噴火:頭部や首に噴石、即死20人…検視の医師」という記事。他に例が無い状況であり、かつ多くの方がお亡くなりになっている今回の状況において私ごときが何を言えるわけではないのは百も承知なのですが…
「撮影し逃げ遅れも」という見出しの状況が残念で仕方ない
その場で自分が遭遇している状況を撮影したいという気持ちは理解できます。
撮影していたから逃げ遅れたのかどうかもよく判りません。
更には撮影せずにすぐに離脱していたら逃げきれていたのかも判りません。
普通すぐに逃げるだろ的な話も無くはないと思うのですが、状況自体が普通じゃないので普通に考えろよというのが無理な話。
そして少なくとも私は、そこに噴火後に撮影されている映像があり、かつ撮影した方が亡くなられているという状況は非常に辛いものに感じます。私事ながら、ごく最近肉親の一人を見送った事もあり、誰かが亡くなるという話に少し敏感なだけなのかもしれませんが。
でもって、仮に自分が明らかに普通とは違う状況が起きている場に居合わせたとしたら目の前で起きている状況を即座に理解できたかどうかもよく判らないし、安全かどうかの判断とは別にとにかく撮影してたかもしれません。あるいは何も考えずにすべてを放り出して逃げたかもしれません。
正直、よくわかりません。
ただ少なくともこの事象から自分が何かを学べるような気はしています。
今はまだ何を自分が学んでいるのかはよくわかっていませんが。