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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

コンテキストの再構成のために休日に新聞をまとめてやっつける

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一応週末は休みの私。実は休日は結構料理を中心に普通に家事をやってるのでそれなりにバタバタしてて落ち着かなかったりするのですが、それでもどこかで時間を見つけて一週間分の新聞やらチラシやら届いたDMやらをまとめてやっつけます。

とりあえずDMとはかはともかく、新聞を一週間分まとめて見てるってそれは既に新聞じゃなくて旧聞じゃないのか?的な指摘はごもっともなのですが(笑)

 

Webはフロー、紙はストック

まぁ当たり前と言えば当たり前だし、随分前から私自身も主張しているのですが、Webで流れる情報はいわゆる時事ネタでも技術系のネタでもなんでも、基本的にフローだと思っています。その瞬間の情報であって、それ自体の正味期限なんて殆ど意識されない話。

それに対して文字の情報、たとえば新聞だったり雑誌だったり、あるいは何らかのパンフレットやムックの類に至るまで、そこにレイアウトとともに定着している情報は、それがつくられた時点で固定されたストック。ストックであればそのあとの変更や変化には対応できないのは当たり前ですが、でも、実はそれが形を固定した時点でのいろんなものが後から見えるので、私自身は好きです。

たとえば新聞の1面の見出しに何が載るのか、それがどれくらいの大きさなのか、そのあとの紙面への展開はどうなっているのか、後日の続報の扱いはどうなのかなどなど。これらがすべてその瞬間のその記事の位置づけの表現になるわけで、それが雑誌のレイアウトや台割などと同じように編集者の意図や思いがそこに見えるよねと思うんです。そしてその積み重ねが各媒体の主張や論調、方向性の理解のベースになると思うんです。単に文字面で何を言ってるかってのは表面上の話でしかないと思うんです。私は。

そして、そういう追体験はWebの情報ではできない。書き換えられてしまうし、置き換えられてしまうし、挙句消されてしまう。新聞が良いのか?という話はあるかとは思うのですが、ほかに代替手段がないんです。もちろん自分なりの視点をきちんと維持しつつ接するのは忘れませんが。

 

情報のダンプアウト、整理、そして再構成

ちなみにある時点で固定した情報を順に追うことによって経緯を自分の中で構成して行くことができます。毎週必ずそれができるわけではないけれど、月に1度くらいいろんな情報をまとめて整理しなおすことで、当面の状況の変化には断片情報のインプットだけで耐えられる。そしてそれが陳腐化する前に何処かでまた改めて情報の整理。この繰り返し。

こういうことをやろうとする時に、実は一週間分、あるいはそれ以上溜まった新聞、そして読みかけたままの雑誌やDMの類ってのは結構役に立ちます。古い情報だからもう不要?そんなことはない。変遷を追う上ではたとえ後から考えると誤報であったとしても、どの時点でどうだったかという情報が無いと意味がない。経緯を踏まえた話ができなくなってしまう。それは嫌なんですよね。

ということで、買い物やら掃除やら洗濯やら料理やらをカミさんと共同で、あるいは分担しながら情報整理という名のもとにボケっと新聞を開く贅沢な時間を時々愉しむ生活がかれこれ25年以上。思えば遠くへ来たもんなのですが、冷静に考えると蓄積されている筈のものを取り出す能力が落ち始めてきたのに気がつくような歳にもなってきたなぁと思う、なんとなく秋が深まってきた今日この頃、であります。

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