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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

コミュニケーション戦略がまずあるべきであって、ソーシャルほにゃらら戦略が先に立つことなどありえないという当たり前の話

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不肖岩永、いわゆるマーケティング・コミュニケーションの世界に足を踏み入れてからかれこれ20年近くになります。その間に媒体自体の栄枯盛衰、メッセージングの変遷、もちろんそれを取り巻く諸々の環境の変化をあるときは当事者として、そしてあるときは傍観者として眺めてきたわけですが、それでも一環しているものがあります。変わりようの無い事があります。

それは何かって?いや、簡単です。「誰とどういうコミュニケーションを取るべきだと考えていますか?」というコトを判断の軸にするということ。

 

どんな時代も流行りの方法論がある

いわゆる流行り廃りの話。その瞬間瞬間には「これしかないよ、乗り遅れたら駄目なんだよ」的にみんなが飛びつくものがあります。でもそれはあくまで方法論、戦術論であって、本質的な戦略論とは実は全然別次元の話。でも残念ながら、これまた何時の時代でもそもそも誰とどういうコミュニケーションを取るべきなのかという話をすっ飛ばして「今はこれをやらなくちゃ駄目なんですよ」といいまわる人がいて、そういう話に振り回される人がいるわけです。

じゃぁお前は違うって言いたいんだろうって?いえいえ、そんな事はありません。自分が原因なのか、はたまた誰かの責任なのかはともかく、それなりに酷い目にあったりもしています。自分が問題の中心であれば不徳の致す限りなわけですが、幸いに一緒に仕事をする機会を得た人から色んなモノゴトを教えていただきました。

で、たどり着いた結論が「誰とどういうコミュニケーションを取るべきだと考えているのか」というコトを常に意識し、常に考え続ける癖。業種業態商材顧客その他諸々の条件によって目指すものが微妙に違って見えるとは思います。でも、これを考える根っこにおいている限り目の前の流行の何かに振り回されることって言うのはなくて、むしろそれらをどうやって利用すればよいのかと言うところが見えてくるわけです。

そんなの簡単じゃないでしょって?そりゃ簡単じゃありません。だからこそのコミュニケーションのプロフェッショナルが成立するわけで、しかもそれは付け焼刃的に何かを信奉するような立ち位置で話しをする人じゃない。因みに私の観測範囲で言うと、そういう方の声が一般的に大きくて目立つのですが、本質論に常に立ち返ってモノを考えている人は流行りの何かに対してあまり騒ぎ立てないので結果的に目立たないというコトなのかもしれません。

 

急に思いついたんだろうって?そんな事は無いんですよ、これでも

実はブログのエントリーとして過去に何度かこういう主旨の内容を書いているのですが、たとえば9月に書いたソーシャルメディア戦略って言い回し自体、なんだか間違ってない?とか、6月に書いたステルスマーケティングとソーシャルな何かとの微妙な関係とかは同じ流れ。

とりあえず個人という立場においてTwitterにしろGoogle+にしろFacebookにしろLinkedInにしろ、あるいはTumblrにしろ、世の中的にソーシャルな何かに分類されるサービスはそれなりに使ってはいます。便利な場面では使うし、でも別にそれに依存するわけでもないしという自分的には至って普通のユーザーな訳ですが、一応自分の歩んできた歴史と経験を補助線にソーシャルな何かって凄いぞこんなにユーザー居るぞアプリがこうだぞ云々という話を目にしながら、なんとなく言葉に踊ってる風に見える状況ってなんだかなぁとは思ったりもしてはいます。

因みにそんな中で高広伯彦さんのブログの「フェイスブックマーケティング」なんてものは存在しない。というエントリーを見て、素直に「だよね」と思ったりもするわけです。コミュニケーションの本質って何なのかというところをキチンと理解してるかどうか。自分の中で定義がキチンとされているのか。要はそこなんだと思うんですけれどねぇ。

 

因みに「誰と話をするべきか」というところを事業の本質に重ねたときに、まずやるべきことが見えることもあります

ここでコミュニケーションという表現を使うと誤解を生じるかもしれませんが、「誰と話をするべきなのか」というところに立ち返ると、実は色んなモノが見えてくるんですよね。正しい相手に正しい方法で話をしているか、できる形になってるのか、その人は今でも正しいのか、その人の話をキチンと聞けているのか理解しているのか理解できているのか、そしてぐるっとまわってそもそもその人に刺さるのはどういうメッセージ(あるいは製品やサービス)なのか。

これって別にマーケティングコミュニケーションに携わってるから考える事じゃないんですよね。実は行動原理の根幹に関わる話だったりします。そこを考えてみると、ソーシャルほにゃらら戦略なんて言葉は使い辛くなるんじゃないかと。

 

因みにソーシャルほにゃららのバリエーションとして「ソーシャルノマド」が「ソーシャルの窓」になってしまって、そんなところ解放してしまうと見たくないものが見えまっせとか、ソーシャルWebってやっぱりよく判らんぞとか、ソーシャルランチって要は昼間の酒抜きのオフ会ですかというわけのわからん理解とか、挙句の果てにソーシャルビジネスって社会を相手にしないビジネスってなに言ってるんだか良くわかりませんがとか、ソーシャルゲームの世界って要はBOPの一種ですかとか、いろんな意味でソーシャル云々というくくりで定義された世界を懐疑的に見てる私ならばこその面白い世界が見えるのも事実。

そういう意味では諸々楽しい日々ではあります。

 

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