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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

映像でも画像でも、編集に手を染めるとかなりヤバい

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元々映像や画像の世界がキライではないワタシの場合、仮に自分でやる気になってしまうとかなりハマってしまうのは判っています。これはもうはっきり自信があります。だから基本的には自分ではやりません。本当にどうしようも無い場合を除いて。でも・・・

 

写真を撮るのは好きですが、画像自体に興味はありません

ちょっと微妙ですが、ある意味ワタシの嗜好の本質的なところです。銀塩の頃から写真はそれなりに撮ってきましたが、真面目に撮りだしたのは子供が生まれてから。それまでも、いわゆる使い捨てカメラ(本当はこう言ってはいけません)を中心にそれなりに撮ってはいましたが、子供の成長記録ってところで真面目に撮ろうと決めてからは、確かに凄まじい量の写真を撮っています。

まぁ銀塩(フィルム)の頃はそれでも時々フィルターに凝ったりとかしてましたけど、現像もプリントもDPE屋さん任せ。比較的仕上がりについては安心できる店が家の近くにあったってのもありましたが、基本的にはとにかく撮っちゃう。一応NikonのF100という一眼レフをメインで使っていたのですが、それなりにレンズを取り替えつつ・・・ メカとしてのカメラは好きですし、子供の成長記録を残したい一心で写真を撮る行為は好きでしたし、もちろんそれなりにアングルやら何やら考えてはいましたが・・・ ま、それだけの話です。

 

デジタルカメラがメインになると、それが更に加速して

その後、メインのカメラがNikonのD300(デジタル一眼レフ、ですね)に変わってからは、もう現像代を気にする必要はなくなったので、まぁ本当に見境無くシャッターを押しています。それなりにカメラの癖もわかってきたので、そんなに酷い失敗はしなくなりましたが、別に撮った写真自体をPhotoShopなどを使ってレタッチして・・・なんてのは実は全然しません。その意味では銀塩の頃のように「撮れた写真が全て」みたいな意識で、撮影モードもLawモードではなくJPEGがメイン。

写り自体は気にしてますが、とにかく撮れた画像は殆ど触らない。

写ってる自分の子供の笑顔には興味がありますが、それをいかにきれいに印刷するかとかには余り興味が無い。顔に影が深く入って表情が見えないよーとか、そんなのどうでも良いって気持ち。大事なのは、その傍目には失敗作とも言える写真を見てそれを撮ったときの事を思い出せることのほうが楽しいです。ワタシ的には。

因みに、たまに何かの必要があって印刷、あるいは印画紙にプリントすることはありますが、それすら殆どしなくなりました。画面で見て楽しむ。それがメイン。画面で見るのがメインだから、妙にレタッチしても仕方ないじゃんという変な割り切り。そもそも自分で撮る写真は仕事じゃないんだし・・・ ま、そんなもんです。

 

ビデオについても一切編集はしませんという、一般的消費者の顔

これは家電メーカーの方とお話したときにも話題になったことがあるのですが、一般的に仮定でビデオを撮影している人の殆どは、撮ったら撮ったで終わってしまうとのこと。これは正にワタシにも当てはまります。

子供の運動会や何かの習い事の発表会、もちろん入園式卒園式入学式などなど、それぞれビデオも撮ります。さすがに腕は二本しか無いので、カミさんと分業できなければビデオは三脚に載せたまま撮りっぱなし。雰囲気だけは間違いなくわかります。だいたい、そもそも自分もそこにいるわけで、むしろ自分の目でしっかりと見ていたいという気持ちのほうが大きくなります。

じゃ、写真なんか撮るなよって?ま、そこはそれ。

因みに、これを何らかの記録としてキチンと編集し、タイトルをつけ、スーパーを入れ、音を付け、ナレーションを入れ・・・ なんて考えていると、とてもじゃないけど三脚乗せっぱなしなんて出来ません。アングルから何から、もう撮影している間中気になります。しかも、それなりに仕事の上でプロモーション映像とかを散々作ってきた経験から、ホボ全ての工程において何をしなくちゃいけないかなんてのは体が覚えています。ちょっと気を緩めると、それこそ入学式の前に絵コンテを仕上げて大方のナレーションまで決めたところで現場に入り、ココと思うところに子供を立たせてとか、式の間中会場の中を可能な限り撮りまくって・・・ もう落ち着かないことこの上ない状態になるのは目に見えてます。

その後の編集作業の事とかも考えると・・・ もう考え始めただけで寝れなくなります。しかも、きっと以前に繋いだ作品の不満な点がどこかで気になって、後から素材を引っ張りだして繋ぎなおしかねません。

凝りだすと絶対に止まらなくなるから、やらない。これはワタシの心に作った壁です。

 

でも、稀に自分で何かしなくちゃいけなくなることもあります

たまたま、ある製品のプロモーションのための映像を作ることに。予算なんて全然ありませんから自分で撮影して、自分で繋ぐしかない。しかも元々撮影のための機材なんてマトモに揃っていませんから、とにかく使えるもので無理やり作業しちゃう羽目になってしまいました。

そうすると、当然そこら中に不満が鬱積する訳ですが、冷静に考えると要求品質はそこまで高くない。とりあえず見せたいものだけれど、特定の場でしか見られないものを簡単に見せることが出来れば良いという性格のもの。そう。本当に本気でやらなくても良いわけです。ということで、軽く引き受けたのですが・・・

結果を言うと、民生用の簡単な編集ソフトで無理繰り編集作業をやったので、自分的には不満のヤマですが、作業を頼んできた人の要求品質は満たせたようです。ワタシも、やるときにはやるんです(きりっ

 

趣味と仕事の境界線

ここが多分一番の問題ですね。ワタシの場合、特に映像や画像系の話題になると、とかくこの境界線が曖昧になる傾向があります。これは自分でも理解しています。昔はこれに音関係も加わっていたのですが、その成れの果てが我が家の音響機器がホボ全て業務用の機器だったりするわけですが、音についてはデジタルで気軽に編集できる直前に手を引いたおかげで現在は平穏な一人のユーザーとして平和に暮らしています。

でも、映像と画像は、まだヤバイ。

仕事で接する撮影機材や編集機材のコトを一旦完全に忘れないと趣味には持ってゆけないと思っていますが、やっぱり本気の機材や作品の作り方、そして出来上がる作品を見てしまうと自分でも何かやりたくなってしまいます。ということで、一切やらないという選択。

強気のようで、実は非常に弱気なのかもしれません。

 

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