父が教えてくれたこと:『断る』ことは『判断する』こと
2019年4月30日、平成最後の日。皆さんは、どのようにお過ごしになりましたか?
私は、自分の平成を振り返りつつ、令和になってから開催するイベントを企画しながら過ごし、改めて『断る』『断られる』について考える機会がありました。
そこで、平成最後は、『断る』『断られる』について書きたいと思います。
『断る』『断られる』に対する『不安』や『恐れ』の存在
『どうして、行動力があるのですか?』『どうすれば、行動力が身につきますか?』という質問をいただくことがあったのですが、長い間、この問いに対して言語化することができませんでした。
自分の言葉にできたのは、『断られることは怖くないのですか?』という質問がきかっけとなり、『断られる』ことに対して『不安』や『恐れ』を感じていないこと、その背景には『行動の第一歩として、相手に率直に伝える習慣』があることに気づいたからでした。
『理由を説明する習慣』と『理由を確認する習慣』
『断ることは、判断することであり、選択肢の1つである』
『断る場合も、断られる場合も、理由がある』
これは、社会人になる時、父が授けてくれた言葉の1つで、断わる場合も、断られる場合も理由があり、その理由を大事にしなさいという意味です。
『断る』『断られる』を『拒絶する』『拒絶される』と同義に考えることなく、断る場合は理由や事情を丁寧に説明し、断られる場合は理由や事情を教えていただきなさいということです。
『断る』の語源は、『事割る』であり、物事の筋道を明らかにする意。(岩波国語辞典 第6版より引用)
つまり、「こと(事)」+「わる(割る)」は、事を判断し、理由や事情を説明して、辞退するという意味です。
『判断』の断と『断る』が同じ漢字であるように、『断る』ことは『判断する』ことであり、選択肢の1つにすぎません。ところが実際は、本当の理由や事情ではなく、『日程が合わない』という類の無難な理由で断られたりすることがあります。本当に日程が合わない場合もあると思いますが、多くの場合、別の理由があるように感じます。
私は、自分が断る場合は、明確な理由を説明し、断られる場合は、明確な理由を確認するようにしています。明確な理由、本当の理由を確認することが習慣化されると、断られることへの「不安」や「恐れ」がなくなっていきます。
これは、本当の理由を知ることで、漠然とした「不安」や「恐れ」から解放され、断られる理由を客観的に分析できるようになるからだと考えています。
そして、断られた本当の理由を知ることで、「相手の期待に添う提案や企画」「自分が決めたことを実現する方法」をより深く考えられるようになり、実現する確率が高くなっているように思います。
判断基準はどこにある?
断る場合は『理由を説明する習慣』、断られた場合は『理由を確認する習慣』を身につけるということは、言い換えると、『断る』『断られる』際の判断基準を明確にするということでもあります。
断った時に「これでよかったのかな?」とクヨクヨしたり、断れなかったら断れなかったで「引き受けるのではなかった」と後悔した経験は、誰しもあると思います。また、『断られる』ことを恐れ、他の人に頼らず、1人で抱え込んでしまい、窮地に追い込まれてしまうケースもあると思います。
『断る』『断られる』にクヨクヨしないためには、判断基準を明確にして、漠然とした「不安」や「恐れ」から解放されることが大事だと考えています。
まずは、『理由を説明する』『理由を確認する』ことから始めてみてはいかがでしょうか?