父が教えてくれたこと:『受け入れる』ということ
今日は、私の人生訓である「日々是好日」について、書きたいと思います。
■ 日々是好日(にちにちこれこうにち/にちにちこれこうじつ)
この言葉は、禅の言葉で、『雨の日は、雨の日を楽しみ、風の日は、風の日を楽しみ、晴れの日は、晴れの日を楽しむ。たとえ、どのような日であったとしても、その日、その日を受け入れ、心穏やかに、だたありのままに生きる』という意味とされています。
私は、『日々是好日』を別の言葉で表すとしたら、『受け入れる』ことだと思っています。
自分の望まない状況や辛い状況に遭遇した時、本当の意味でその状況を『受け入れる』ことができるかどうか・・・
それは、とても難しいことであり、時には、時間の経過でしか『受け入れる』ことができないこともあると思います。
それでも、本当の意味で『受け入れる』ことができれば、自分の納得する生き方であったり、次の一歩に踏み出したりすることができると、私は考えています。
私がそのように考えるようになった、父との思い出をブログに残しておきたいと思います。
『早ければ、6か月です』
それは、あまりにも突然に告げられた、私たち家族にとって、うけ入れ難い「真実」。
そして、このうけ入れ難い「真実」を父に伝えるべきかどうか、迷いに迷って出した結論は、父に「嘘」をつくということでした。
「常に、正直であること」を何よりも大事にし、「嘘をつかれたり、騙されたとしても、嘘をついたり、騙してはいけない」と伝えてきた父に対して、父が一番望まない「嘘」をつくことを選択したのは、この事実を『受け入れる』ことができなかったからでした。
望まない状況を受け入れることもできず、加えて「嘘」という重荷を抱えて、2か月ほど経ったある日、思いもよらない出来事が起きました。
花のお水を替えるために、母が病室を出るタイミングを見計らっていた父が、静かに私に話し始めました。
『もう、嘘をつかなくていいんだよ。お父さんは、先生に訊いたから、自分の病気のことは知っているよ。嘘をつくのは辛かったね。お父さんは、子どもたちのことは、何も心配はしていないんだ。(子どもたちには)自分の望まない状況になったり、転んだりしたとしても、立ち上がって、進む強さは教えてきたからね。でも、お母さんは違うんだ。それだけが、唯一の心残りだから、お父さんが旅立った後、お母さんを支えてほしい』
私が小さい時から変わらない、いつもどおり、優しく、穏やかな口調で言い終えた父は、くるりと背中を向け、新聞を開き、新聞を読み始めました。
その日が来ることを認めたくなくて、自分の望まない状況を受け入れたくなくて、何も返事ができなかった26歳の私。
今でも、この時のこと思い出すと涙が止まらないけれど、時間を経て『受け入れる』ことができているのは、父が「嘘」という重荷を下ろしてくれたおかげだと思っています。
もし、「嘘」という重荷を抱えたまま、父との別れを迎えていたら、きっと、今でも、後悔をしていると思います。
ベテランの看護師の方が伝えてくれた「長い間、看護師をしているけれど、お父さんみたいに穏やかな人を見たことがないの。あまりにも穏やかに過ごされているから、やがてやってくる日があることを周りの私たちが忘れてしまうの」という言葉どおり、最期まで『日々是好日』と生きた父。
その日、その日を受け入れ、心穏やかに過ごした父が教えてくれた、あるがままに『受け入れる』ことができるように、これからも、自分の感情と向き合い、自分の感情に振り回されず、Emotional Intelligence Quatient(心の知能指数/感情知性)を磨いていきたいと思います。
(*Emotional Intelligence Quatient(心の知能指数/感情知性)については、また、近いうちに書きたいと思います。)
2018年11月29日 21回目の父の命日。 鳥取県 三朝温泉にて。