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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

読後メモ:「非属の才能」

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「非属の才能」
山田玲司著/光文社

1日2冊のペースでこなしている辻さんが推薦されていたので読んでみました。

以下は10代後半から30歳ぐらいまでの方が読まれることを念頭に置いて記しています。大人の方はつっこまないように…。

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「非属」は著者の造語です。「才能というものは”どこにも属せない感覚”のなかにこそある」という著者の確信から来ています。
著者は週刊ヤングサンデーで「絶望に効くクスリ」を連載していて、これが「才能のカタマリ」のような人たちに連続的にインタビューをしていくという企画。100人目でオノ・ヨーコにインタビューをしている時に「非属」という言葉を思いついたとのことです。

-Quote-
その経験から見えてきたのは、
 「才能というものは”どこにも属せない感覚”のなかにこそある」
 という一つの結論だ。
 学校にひとりも友人がいなかったという爆笑問題の太田光に大槻ケンヂ、そして「高校三年間で五分しかしゃべらなかった」というお笑い芸人のほっしゃん、
 どんなギリギリの状況でも「YES」と言い続けるオノ・ヨーコに、「人の言うことは聞くな」と主張する五味太郎。
 中略
 さらには、24時間365日、魚のことばかり考えているさかなクンに、40歳まで自分が何者なのか悩み続けたのっぽさん…。
 彼らはみんな、自分のなかの「どこにも属せない感覚」を信じ続けた、言うなれば”非属の才能”の持ち主だ。
-Unquote-

これが冒頭。ここで共感することができたなら、読み進めるといいし、「へっ」と思ったら読まずに済ませた方がよいです。この本は”非属”側の人に向けて強烈な応援メッセージを送っているので、”非・非属”の人が読むと「なんだこのやろー」となってしまうはず。

著者の基本的な立場は、非属の才能を持つ人が時代を作り、世の中を豊かにしてきた(わたくし個人は必ずしもそれだけだとは思わないけれども)。そして、これからの時代を切り開いていくのも非属の才能の人である、というものです。

例えば、アップルの最高経営責任者であるスティーブ・ジョブスは、自分が若くして作った会社(アップルは彼とスティーブ・ウォズニアックの二人が作った会社)から追い出されてしまうほどに非属の人でした。けれどもそのスティーブ・ジョブスがアップルを再興し、iPodで音楽の世界を変えつつあります。
そのほかに言及されている非属の人は、例えば、野茂英雄、桑田佳祐、ジョン・レノン、黒柳徹子、手塚治虫、エジソン、オリバー・ストーン、山田真哉、山本寛斎、永田照喜治(永田農法の創始者)、荒俣宏、そして村上春樹。故人を除きほとんどの人に山田氏は実際にインタビューをしています。

こした非属の才能を持つ人は、学校生活では大変な状況に陥りやすい。先生には疎まれる、クラスメートからはつまはじきにされる…。これに対して筆者は、暫定的に歴史上のヒーローを(自分の心の中にいる)理解者にするのがよいとアドバイスしています。

-Quote-
 学校は、人生でもっとも同調圧力が強い閉塞空間だろう。
 「これが正解」「これがふつう」「これがあたりまえ」「これが常識」という同調を、教師は毎日これでもかというほど生徒に押しつけてくる。
 やっかいなのは、それが生徒のためだと教師たちが本気で信じ込んでいることだ。完全に協調と同調を混同してしまっている。
 そんな教師には、「先生の言う通りかもしれませんね」とその場をやり過ごして、距離を取るのが賢明だろう。
 中略
 協調はしても同調してはいけないのだ。
-Unquote-

-Quote-
 学校は、異常なくらい閉鎖的な場所だ。
 そこではある種の目に見えない空気が、常に「ムラの掟」を強いてくる。そういった状況のなかで、自分の価値観のみに従って生きてくのは至難の業だろう。
 でも、そこにひとりでも理解者がいれば、一見、掟に従っているように見せかけて、非属の才能をすり減らすことなく、うまくムラのなかを泳いでいくことも可能かもしれない。
 それくらい、理解者という存在は心強いものだ。(今泉注:筆者の場合は、祖母がよき理解者だった)
 中略
 学校に属せず、孤独を感じたときは、ジョン・レノンやイチローや坂本龍馬や尾崎豊といった、実在した(している)ヒーローを自分の身内だと思って、現実の理解者が現れる日まで勝手に「心の師」にしてしまえばいいのだ。
 そうすれば、同調圧力にさらされる日々も、少しは楽にやり過ごせるようになるはずである。
-Unquote-

そのようにして、”自分の非属の才能”を守るわけです。
それから、非属の才能を信じ、育み、そこから非常にユニークな花を咲かせるためには、ある程度の長期間にわたる「孤立」が不可欠だと筆者は言っています。

-Quote-
 多くの大人が、引きこもりのことを「甘え」だという。
 しかし、なにも彼らは、単純に甘えだけから「自分だけの世界」に逃げているわけではない。
 むしろ僕は、引きこもりに走るような人間にこそ、非属の才能を開花させる可能性があると信じている。彼らはまっとうな感覚の持ち主であり、彼らにとって「引きこもる」ということは、おのれの内なる宇宙に耳を傾けるための最低条件なのだ。
 中略
 そんななか、引きこもりはその楽を取らず、自分の感覚を信じるという、ある意味「苦行」を選んだ人たちだ。
 その昔、「山ごもり」や「お堂入り」といった苦行によって、俗世を離れて自分を見つめることは、仏教や禅の世界ではあたりまえのこととされていた。
 かの達磨大師は、壁に向かって九年間座り続けたという。
 一般の人にも、何年も地元を離れて旅に出る「お伊勢詣で」や「お遍路」などのプチ出家イベントがあり、群れを離れて故人に戻る体験をすることができた。
 引きこもりは、そういった習慣がなくなった現代における、いわば「修行期間」とも言うべきものなのではないだろうか。
-Unquote-

引きこもりの時期、孤立の時期は、非属の才能を開花させるための修行期間という位置づけを持っている。そうした時期には、筆者の考えでは、テレビを見てはならないし、インターネットにつないでもいけないとのことです。それから携帯電話についても解約すべきと言っています。むしろ本を読むとか、何かを深めることに専念した方がよいとのこと。
(テレビについては、わたくし今泉的にも同感です。一般的に、テレビメディアに触れる時間が長いと、修行に必要な”集中”が得られず、修行期間がいたづらに長くなるということはあると思います。インターネットについては、これを読んでもらっているのがすでにインターネットである以上、どうとも言えません。ご自身でこの本に直に接してご判断ください。)

-Quote-
 引きこもるからには、「自分は誰とも違うんだ」「誰ともわかり合えないんだ」「たったひとりなんだ」という非属の感覚を大切にしてほしい。
 中略
 群れの価値観にこれ以上合わせることができないという、抜き差しならない状況から引きこもりを選択するのであれば、しばらくの間、連帯・共感から来る安心感や満足感は捨てるべきだろう。
 だから、携帯電話は一刻も早く解約しなければならない(もしくは電源を切る必要がある)。
 ケータイを持つことで「いつでもどこでも」誰かとつながれるという安心感は、引きこもりを修行期間にするための最大の障害物になる。
-Unquote-

このようにして、孤立する期間、引きこもりの期間を修行期間と位置づけて大切にすることができれば、その人は独創性を持った非属の才能の人になれる可能性がある、と筆者は言っています。ただし、自己中心的な人間にならないように、注意すべきポイントもいくつか挙げています。本書に当たって確かめてみてください。

わたくし今泉が一言言い添えておくと、山田氏が主張しているのとほぼ同じことをC.G.ユングも「心理学と錬金術」のかなり長い序文において述べています(分厚いので全体を読むことはお勧めしません)。米国の作家のナサニエル・ホーソーンにも初期作品において、このへんの孤立(alienation)をテーマにしたものがあります。色んなものを読んで、理解を立体的にすることをお勧めします。

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