暴走する消費者。日用品購入に、嗅覚検査を! ~日用品公害・香害(n)~
無法地帯で、増え続ける悲劇
車の運転に、免許は不要。視力検査はない。制限速度は、ユーザー設定。複数メーカーの部品を購入、自由に素人魔改造。
そんな社会があったとしよう。
子どもが運転。スマホ老眼でも、裸眼で運転。最高時速200km。
公道を駆け抜け、現れたのは、民家。負傷者多数。連日の阿鼻叫喚。
それでも、ドライバーが罰せられることはない。
重傷を負った住人が、嘆き、叫ぶ。その声は届かない。
そんな場所に住むのが悪い、山の中に住めばいい。それがドライバーの言い分だ。そして、マジョリティの言い分だ。
「車」を「抗菌洗剤」に、「視力」を「嗅覚」に置き換えてほしい。
抗菌洗剤の購入に、免許は不要。嗅覚検査はない。使用量は、消費者が決める。複数メーカーの柔軟剤を、あれこれ併用。
化学物質まみれの衣類を着て、出向く先は、職場・学校・医療機関。曝露で倒れる人が増えていく。
それでも、咎められることはない。それが、今の、この国だ。
抗菌洗剤臭を感知、できる?できない?
なぜ、このようなことが起こるのか。
最大の原因は、嗅覚の個体差にある。
高残香性柔軟剤、そして、除菌・抗菌系合成洗剤。どちらも固有のニオイを放つ。
ところが、いずれか、あるいは両方のニオイを、感知しない人がいる。
皆さんは、次のうち、どのタイプだろう?
- 香料を感知する。抗菌臭も感知する。
- 香料を感知しない。抗菌臭は感知する。
- 香料を感知する。抗菌臭は感知しない。
- 香料を感知しない。抗菌臭も感知しない。
(1)のタイプの人は、すでに石けんを使っているかもしれない。もし、好きな香りの商品があったとしても、生体リスクを知れば見直すだろう。
(2)のタイプの人は、SNSの情報を見る限り、おそらくいないか、いたとしてもごく少数だ。
では、(3)のタイプの人はどうか。
柔軟剤の香りは感知する。ところが、併用する抗菌洗剤のニオイはわからない。
そこで、(1)のタイプの人が、衣類の放つ抗菌臭を指摘すると、袖に鼻を近づけて嗅ぎながら、「何もにおいませんけど?」と言い放つのだ。そして、「においますか?」と、不思議そうな眼差しをする。
(4)のタイプは、(1)のタイプを理解できず、軋轢が生じてしまう。すすぎ不足も、ニオイによって判断できず、洗濯終了。衣類に残留した成分が悪臭を放ち始めても気付かない。
ただし、感知できないとしても、その原因がすべて、ヒトの嗅覚の問題にあるとは限らない。特定の悪臭をブロックする製品が登場しているからだ。製品の作用する範囲は、衣類のみから、ヒトの嗅覚へと拡大しつつある。「誰の」嗅覚に作用するのか、製品情報からは読み取れない。
これが視力の問題ならば、眼鏡やコンタクトで補える。聴力の問題ならば、補聴器がある。だが、弱い嗅覚を支援するツールは、現時点では何ひとつない。
カナリア・ベースで購入許可を
誰しも自分の嗅覚で取得する情報がデフォルトだ。他者のそれを推し量ることは難しい。
感知する者から、感知しない者への、ニオイの説明は困難だ。
ディスコミュニケーションを埋めるためには、客観的な指標が必要だ。
視力や聴力同様、嗅覚についても、検査してはどうだろう?
耳鼻咽喉科で、保険適用外でもいい、検査を実施できないだろうか。
嗅覚検査の結果には、2種類の利用方法がある。
ひとつは、「感知しない個体には、使用を禁ずる」というものだ。だが、これには強制力がない。
もうひとつは、「感知する個体に対してのみ、使用を許可する」というものだ。高精度の嗅覚をもつ個体に対してのみ、電子購入許可証を発行するという方法である。
感知するヒトが、生体リスクのある製品を購入するとは考えにくい。
それでも購入するとなれば、リサイクル市場に対して規制が必要になるかもしれない。
明暗を分ける規定値は、高く設定する必要がある。
おそらくヒトの嗅覚は、検査機器の精度を上回る。嗅覚の鋭敏な集団の平均値、カナリア・ベースで設定せねばなるまい。
購入者がいる限り、メーカーの開発販売方針は変わらない。遅々として進まぬ規制。届かぬ自治体の啓発活動。 好きな香りに溺れる人々。強迫的な除菌・抗菌・防臭・消臭。暴走し続ける清潔志向。その狂気。
この大気の中で暮らす皆さんは、幸せだろうか?
この社会に生まれてくる子どもたちは、幸せだろうか?
立ち止まって考えてほしい。まわりを見渡してほしい。この10年で、どれだけモノが増えただろう?
生活圏に、あふれる化学物質。
受け入れようものなら、その先には、生きるために空気を買わねばならない世界が待っている。