メルマガ連載「ライル島の彼方」第10回 「はたらく」ということ ~私が会社をやめた理由(6)~ 転載(2015/6/28 配信分)
この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「ライル島の彼方」の転載です。
第10回 「はたらく」ということ ~私が会社をやめた理由(6)~
(前回からの続き)
■Webサイト制作実績と収益の隔たり
1996年10月に地域ポータルの原型となるオンラインマガジンを公開した後、1998年3月に退職するまで、いくつかの商用サイトを制作した。
初めて受注したメカトロ系団体のWebサイトでは、C.I.から始め、デザイン、コーディング、有力リンク先の確保まで、一貫して行った。
ロゴをデザインし、溶接の火花を撮影してGIFアニメを作成し、IE3.02がサポートしていたインラインCSSを併記してレイアウトした。Netscape Navigatorの全盛期、商用サイトでIE3.02にも対応するという「馬鹿げた」試みをする者は、筆者ぐらいのものであった。
ところが、そういった企画やコードよりも、見た目の方が評価されたのだろう、(前回書いた)ホームページ・コンテストの企業・団体部門の最優秀賞を獲得したのだった。
また、公開にあたりプレス発表を行ったことから、複数の新聞やラジオで報じられた。
次に、ある日本文化のサークルのWebサイトの制作依頼が、降ってわいた。NHKで紹介されるから、放送日までにサイトを開設してほしいというのだ。
工期は1週間。素材からの制作である。持ち帰りの徹夜作業となった。
インパクトを与えるため、一部にActive Xを使った。コラボレーション・ユニット PROJECT KySS の相方(薬師寺国安)の書いていたVBScriptコードの使用許可を得て、組み込んだ。
メカトロ系企業のWebサイトでは、日/英、HTML/PDFに対応した。
そのデータは、株式会社Tooの展示会「デジタルソリューション'98 1st Stage 東京」で、Acrobatのデモに使われた。
オンラインマガジンについても、プロバイダとの業務提携に伴う地域ポータルの企画が、マスコミで報じられた(1997年9月27日、日本経済新聞)。
DynamicHTMLを使用したら、地域の女性ネットユーザーたちが、Webサイトのリストを作成して無料配布し、その中で、新技術使用サイトとして紹介してくれた。
サラリーマン生活の最後に、建設会社のWebサイトを制作したときには、IE4.0の正規版が登場していた。
トップページでは、Dynamic HTMLを使った絵文字フォントのアニメーションを展開した。
どの顧客にとっても、Webサイトの開設目的は、「宣伝」にあった。
そして、その目的は、前述のとおり、じゅうぶん達成されたのだった。
それは、勤務先の宣伝にも少なからず寄与した。
担当者一人が1から始めた、新規事業の初年度の成果としては、まずまずといっていいのではなかろうか。
ところが、勤務先にとっては、宣伝効果という実利に直結しない結果だけでは。不十分なのだった。
新規事業は、単年度でペイする売上を約束するものでなければならなかった。次年度には引く手あまたの制作依頼が舞い込むものでなければならなかったのだ。
それは難しいことだった。
問題は母数にあった。
1996年~1998年といえば、インターネットを日常的に使用している事業所の数自体が、少なかったのだ。
もっとも、Webサイトの制作依頼が増えたところで、対応できるスタッフが筆者一人では、作業量に限りがあり、売上増は見込めない。
そこで、オンラインマガジンに鮮度重視のPDF広告を掲載して広告料を得る、という方法を模索した。
HTML + CSSではなく、PDFなら、手順書さえ作成すれば、デザイナー全員がMacで制作できるようになる。
同僚たちは、それぞれの担当する顧客に、PDF広告のテスト掲載を提案してくれた。
しかしながら、Acrobat日本語版の発売が1997年5月、その前後での試みである。
PDFとは何なのかを、顧客に説明すること自体が難しいのだった。
良い感触を得られない、と嘆く同僚たちの浮かない顔を見るたび、互いに意気消沈したものだ。
広告モデルによる収益構造を短期間で構築できない状況は、逆風となった。
■それは先行投資か、回収不可能な固定費か
期待するほどの売上が確保できないなか、固定費はかさむ。
勤務先のマシンはMac一色だったため、社長に直訴を繰り返したところ、一台のWindows 95 マシンが導入された。
この当時のパソコンは、現在の2~3倍はする高価なものであった。
通信費も、従量制が一般的であった。
勤務先で日中に接続すると、テレホーダイ適用時間(23時以降割引)ではないため、遠慮しながら使っていても、料金はかかってしまう。
筆者の人件費も必要だ。印刷媒体業務では非常に良い成績を上げていただけに、Web制作に取り組み始めてからの売上低迷が目立つこととなった。
勤務先にとって唯一幸運だったのは、企画・デザイン・執筆・イラスト・音楽制作・コーディングという分業体制をとる必要がなく、一人分の人件費で済んだことだろう。コミュニケーションロスがないため、総制作時間も圧縮できる。デザイナーにコーディングを習得させたり、プログラマーにデザインを習得させるといった、社員教育の費用も期間も不要だった(★1)。
ただ、企業である以上、費用対効果が重要だということは、一従業員にすぎない筆者とて百も承知である。
会議の席で費用について言及されると、肩身が狭かった。
だからといって、筆者は、決して後ろ向きにはならなかった。
個人での費用負担は厭わず、前だけを見て走った。
パソコンを買い、メモリやボードを増設し、最低限のDTM環境を整え、デジタルカメラ(SONYデジタルマビカ)は発売を待って購入した。
NTTの電話加入権を取得し、通信費とプロバイダの会費を払い続けた。
個人の時間も使った。帰宅後も制作に取り組んだ。
勤務先にWindowsマシンが導入されたときには、IE 4.0 PLATFORM PREVIEW 2が登場していた。
不安定なPP2を勤務先のマシンにインストールすることはできないので、新規導入されたWindowsマシンにはIE3.02をインストールし、IE4.0 PP2は個人のマシンにインストールした。
会社の費用と、個人の費用。会社の時間と、個人の時間。
筆者にとって、そんな区別はどうでもいいことだった。
ネット社会では境界なんぞ消える。従来の勤務形態にとらわれていては、何もできない。
どこで仕事をするか、どこの設備を使うかなんて、セキュリティの問題以外では、大した意味を持ちはしない。そう思っていた。
技術革新のビッグ・ウェーブの上で、動かずにいたら溺れてしまう。
真の「安定」とは、直立不動でいることではなく、バランスをとり続けることだ。
いずれ社会で必要とされるようになることを一生懸命目指していれば、必要とされるようになったときに還元される。
溺れたくなければ動くしかない!
かつてDTPの普及によって写植とフィニッシュワークの需要が激減したように、インターネットが普及したら、印刷と映像制作の需要は減っていくにちがいない。
勤務先のDTP化は間に合った。次はIT化だ。
それだけを考えていた。
■異なる報酬系との距離は縮まらない
会社のために、地域のために。
筆者だけでなく、筆者を取り囲む誰もが、将来につながる良い仕事をしようとしていた。
ところが、それぞれの道が同じ方向を向くことはなかった。
後方支援あってこその前線であるはずが、後方との距離は日増しに開いていった。
企業活動も、個人の人生も、リスクとリターンを天秤にかけて、目先の利益か将来の利益かを選択する、判断の連続だ。
経営者と社員では、背負うリスクが異なる。だから、判断が異なることもある。
そして、立場以上に、大きな違いがある。それは、脳内伝達物質が関与しているともいわれる、報酬系の個体差だ。
短期報酬系のヒトと長期報酬系のヒトが歩み寄ることは難しい。どちらかが合わせるしかない。
長期報酬系のヒトは、損して得をとる。無償で動くことを厭わない。
実際、筆者が退職して開業した後も、新規取引は「すべて」、無償の行為から始まった。
社会や友人や後進のためになるならという気持ちが、仕事を呼び込んだのだった。
もし目先の利益が頭の片隅にあったなら、突破口は開かれなかっただろう。
コラボレーション・ユニット PROJECT KySSの相方(薬師寺国安)が、趣味のActive Xのページを作っていたら、検索して閲覧した編集者から、雑誌記事の前後編2回分の執筆依頼が舞い込んだ。
相方が編集者に、自サイトからリンクしている筆者の個人サイトを知らせたところ、今度は、筆者の技術コラムやVRMLの解説記事を見た編集者から、連載コラムの執筆依頼が舞い込んだ(後述)。
相方は自分の楽しみのために、筆者は閲覧者の役に立つ情報を発信するために、それらのページを作っていた。
二人とも、目先のキャッシュを得ようとして作っていたわけではない。
退職の後、XMLユーザーの裾野拡大のために、開業資金で生活しつつ、XMLのコラムやコンテンツを公開していたら、日本初のXML+XSLTページ制作の仕事が舞い込んだ。
今すぐ離陸しなければ開業資金が底をつき生活費が枯渇する、という厳しい状況にあったとき、印税の確実な書籍の執筆を一時中断して、XMLユーザー有志によるオンライン・イベント(★2)の裏方作業に徹していたら、イラストやWebサイトやCMS開発の仕事が舞い込んだ。
イベントで多くのXMLユーザーとのつながりができたことも功を奏したのだろう、その後大急ぎで書き上げた書籍は、技術書のセールスを塗り替える記録を作り、韓国語版も出版されたのだった(後述)。
ある日、友人のデザイナーから、友人の友人がXML案件で困っているという相談があり、「友人の友人だもの、助けなければ!」と企画書を無償で友情制作したら、それを見たクライアントが大感激。
友人たちとの合同チームで取り組む数年がかりの案件となった。
このように、無償の行為は、新しい流れを作るのだ。そして、その中のいくつかは、有償のビジネスにつながっていく。
将来は、無償の行為が無償の還元を生むようになるだろう。つまり、社会から、他者から、キャッシュではない無償の還元がもたらされるようになる。
筆者は思う。 過去の人々の中に、何世紀も先取りした「無償スタイル」を試みた人が、数多くいるではないかと。
たとえば、作家の、オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン。
彼は、極貧の中にあって書き続けた、と言われている。
もしリラダンが、目先の利益にならないからと書くことをやめていたなら、「人造人間(アンドロイド、Andréide)」という言葉が、世界中で使われることはなかっただろう(★3)。
背に腹は代えられぬから、筆者も、そして他の誰もが、リラダンほど困窮してなお仕事に集中できるかといえば、できるかもしれないし、できないかもしれない。
それ以前に、成功例だけ見て語ったのでは、後件肯定になってしまう。(無償の行為が無償のままで頓挫したケースは埋もれているに違いない)。
ただ、必ずしも、長期報酬系が、呑気な、現実を見ていない者の代名詞ではないことだけは確かだろう。
■筆者はどうすればよかったのか?
勤務先では、短期的な費用対効果が、事業の優先順位の判断材料になりつつあった。
現状維持のうえに停滞する空気感が、筆者には耐え難くなっていった。
だからといって、筆者に何かできることがあっただろうか?
インターネット・ビジネスに対する空気を前向きなものに変える方法はあっただろうか?
まず考えられるのは、視覚的に分かりやすい具体的な資料を作成し、社内で繰り返しプレゼンすればよかったのではないか?ということだ。
が、当時の筆者の交渉力では、それは不可能だったし、スキルアップした今でも難しいだろう。
次に考えられるのは、リアルな交流の中で伝えるべきだったのではないか?ということだ。
未来についての話に賛同するかどうかは、その話の内容よりも、発言者の本気度が伝わるかどうかにかかっている。
経営陣や地域の顧客たちと飲食の席を頻繁に共にして、酒を酌み交わしながら熱弁をふるえば、心意気が伝わったのかもしれない。
さらに、タイミングの問題もあったかもしれない。先行したつもりがフライングになってはいなかったか。
ITの世界では、先行者利得が幅を利かせているように見えるが、よく観察してみると、必ずしも先んじることが成功の条件ではないことがわかる。必要とされるタイミングで問いを発することが重要なのだ。
それとも、空気などよまず、馬耳東風で、強引に進めるべきだったのだろうか?
いや、それを実践できるのは、あえて空気を無視する精神的強靭さを持つ者、高度なコミュニケーション・スキルで場の空気を変えられる者、空気を読むことが苦手で場の影響を受けにくい者、のいずれかであろう。筆者は、そのいずれにも該当しない。
もうひとつ、方法がある。
軌道に乗せるまでは、個人で取り組むという方法だ。
勤務先では印刷媒体の仕事に注力し、帰宅後にWeb制作に注力し、確実に売上が見込まれる状態にしてから、勤務先に新規事業として提案するのだ。
が、勤務先にリターンを与えるために、すべてのリスクを個人で負うことは、サラリーマンの姿勢として、何か違うような気もする。
ベクトルを揃えることにエネルギーを使い、ディスコミュニケーションの解消に時間を使いすぎると、機動力は低下してしまう。
可能性を信じている人間が、必要とされるタイミングで問いを発し、エネルギーを浪費しない環境で、作業を継続していくこと、それが新規事業の成功の必要条件ではないだろうか。
■XML1.0勧告、そして退職へ
Web制作を始めて1年余。
当時のWebページを成立させる要素は、クライアント側のヴィジュアル・デザインとHTMLだった。
一方、筆者の関心は、データ・デザインにあった(★4)。
Webを社会生活の中で役立つものにするには、サーバサイドでのデータベース処理に移行しなければならない、と考えていたのだ。
そのデータ形式として有力なのは、csvではなくXMLである。
そこで「XML」をキーワードに、国内のWebページを検索してみた。しかし、得られる結果はといえば、"日本のXMLの父" 村田真氏のパワーポイントの資料1件だけだった。
HTMLのWeb制作業務さえ実らないうちから、ヴィジュアル優先のデザイン事務所の中で、それ自体には視覚的要素を持たないXMLを提案していくなど、筆者には不可能なことのように思われた(他の人ならできるかもしれないが)。
ところが、勤務先では不可能でも、単独でなら...と考えてみると、XMLへの取り組みは十分可能、なのだった。
自分は奇妙な働き方をしている......そう思いつつ、前述のメカトロ系企業のWebサイトを制作していた。
そして、そのサイトを納品して一息ついた、1998年2月半ば。
XML1.0が勧告になった。
このままでは、筆者は精神面で、勤務先は費用面で、互いに消耗していくだけだ。
「挑む」から「逃げる」へ、舵を切ろうと思った。
筆者の能力では不可能な「報酬系の調整」から逃げることにしたのだ。
多忙な社長に進退について相談しようにも連日不在。2月末、会議室で専務と向き合った。退職の意志を伝えた。
そして、残務処理をしながら3月末を迎えた。
あと数日で職場を去るという日、帰宅すると、東京の出版社からメールが届いていた。
連載コラムの依頼だった。第1回目は4月末発売号に掲載するという。
編集者と面識のないまま、メールだけで打ち合わせて書き始めたコラムは、その後、2年半続く長期連載となり、その出版社から刊行したXML本は、XMLに可能性を見出す人々に歓迎されて、またたく間に版を重ねたのだった(★5)。
<次回へ続く>
★1 日経IT Pro連載「Webプランニングから始めよう!~SOHO,小規模事業者編」(2006年10月~2007年5月)には、筆者が、書籍や資料も見当たらない中、自分で考えて実践してきたことをまとめてある。
★2 「Welcome 2000! XMLワンページフェスタ」
★3 「未来のイブ / ヴィリエ・ド・リラダン全集 第Ⅱ巻収録」(斎藤磯雄訳、東京創元社)
★4 ライル島の彼方」第6回 「はたらく」ということ ~私が会社をやめた理由(2)~」
★5 「ライル島の彼方」第8回 「はたらく」ということ ~私が会社をやめた理由(4)~「立地条件 ~地方立地は有利か、不利か~」の項、参照。
筆者は、四国の山奥で開業した後、地方在住のままで、東京の出版社からの依頼で本や雑誌を書き、東京の開発案件を手掛けてきた。
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