「【ただちに】影響はないと思われる」の意味を考える。(1)~子孫への影響~
この1カ月「ただちに影響はないと思われる」という言葉を、我々は耳にタコができるほど聴いてきた。
では、「ただちに」とは、どういうことなのか?
被曝の及ぼす影響を具体的且つ正確に述べることは、体験者や年余をかけて追っている医師やジャーナリストのすることである。Webサイトも多々あるので、そちらを参照されたい。
ただ、被曝は、化学物質曝露に、酷似した面がある。
無色無臭で危険性を認識しにくい(化学物質では、そういったものもある)/皮膚接触、飲食物、吸入の、経路によって影響が異なる/健康影響データが得にくい(年余にわたるため追跡調査が困難)といった点はもちろんだが、重要な共通項は、次の3つだろう。
・年齢、性別、妊娠の有無で、影響が異なる。
・後の世代に影響をおよぼすことがある。
・晩発性障害が生じたとしても、因果関係の証明が難しい。
そこで、化学物質曝露の問題を取り上げることによって、放射線被曝の問題を浮き彫りにしてみようというのが、本稿の趣旨だ。
今回は、三世代以上に影響をおよぼし、史上最大級の薬害をもたらした、悪魔の薬「DES」を例にとり、我々の原発問題と避難に対する姿勢を考えてみる。
「DES(ジエチルスチルベストロール)」は、合成非ステロイド系エストロゲン(合成女性ホルモン剤)である。
1930年代に開発され、1939年にFDA(米国食品・医薬品局)へ承認申請が行われて、1941年に臨床使用承認、1947年から妊婦への使用が承認された薬剤である。
以降、主に流産防止薬として広く使用されることになる。
ところが、このDESを投与された母から生まれた女児が、「明細胞がん」を発症したことから、問題が浮上した。
そのがんは、従来、若年層には見られず、50歳以上の女性に発生するものであり、それも、きわめて発生率の低いものであったからである。
コホート研究がおこなわれた結果、浮かび上がったのが、DESであった。母親がDESを投与された場合、女児の生殖器官のがん発生リスクは、一般公衆の40倍になるという。
1971年に、FDAが禁止を通達するまで、胎内曝露女児は、2万人にのぼった。
なお、DESは、家畜飼料にも添加されたが、これは1979年に禁止されたという。
ところが、DESの影響は、母娘の一世代だけにとどまらなかった。胎内曝露を受けた女児が成人して子をもうけた場合、特定の障害リスクが著増することが分かったのである。つまり、DESは三世代にわたって影響をおよぼしたのだ。
流産防止のためにDESを投与された母は乳がんリスクに晒され、その子供には免疫系や生殖系の病気が現れ、その子供から生まれた子供(孫)には生殖系の異常が現れる、といった具合に、世代を超えて影響がおよんだのである。
1992年に、救済が立法化されたものの、DESは、サリドマイドと並ぶ大きな災禍の源となった。
以上の顛末は、書籍「DES薬害」(水谷民雄著、本の泉社)、および米国CDCのWebサイトDES特設コーナー「CDC's DES update」からの情報をまとめたものである。詳しくは、それらの書籍およびWebサイトを参照されたい。CDCのWebサイトの左のメニューの「For Consumers」を展開して見れば一目瞭然だが、胎内曝露した「DES Daughters」、「DES Sons」だけでなく、第三世代「DES Third Generation」があることがわかる。
では、日本では、どうであったか。
書籍「DES薬害」によれば、DES類縁エストロゲンが製剤化され、1940年~1950年代にかけて販売開始されたが、1965年頃には使われなくなり、1971年には厚生省通達が出たために、曝露者は限定的とされている。
ただし、書籍が執筆された時点では、当然のことながら、既にカルテは残っておらず、情報は、産科学の学術雑誌及び専門書、産婦人科の医師(または医療機関)へのアンケートに依っているという。
ところが、私の記憶では、1960年代後半まで、地方では、産婦人科の診療をしていたのは、産婦人科の専門医だけではなかった。中小の都市でも、むしろ、専門医は市内に一人二人いればよい方で、小さな診療所の開業医がかかりつけ医として、近隣の女性患者の産婦人科領域についても診療にあたっていた。おそらくは内科や外科を標榜していたのだろうと思われるが、看板は「○○医院」といった程度で、診療科など書かれていなかった。法律はあったのかもしれないが、昭和40年代初頭までは、そういった、ゆったりした時代だったのだ。
私も幼児のころ、通院する祖母のお供として、しばしば通った記憶がある。医師は、軍医あがりで、専門を問わず、マルチに治療にあたっていた。畳敷きの待合には、火鉢があり、患者たちが囲んで座っていた。医師は一人で、ゆっくり時間をかけて診療にあたる。当時の地方の医療事情からして、こういったケースが多かったのは確かである。
そして、その開業医は、流産防止薬を処方していた。この医師が、アンケートの対象者に含まれているとは考えられないし、アンケート対象外で流産防止薬を処方した医師も多いのではないかと思われる。
じじつ、私の母も、出産時には産婦人科に入院したが、それまでは、その「産婦人科専門ではない」開業医に診療を受けており、流産防止薬を大量に処方されている。当然のことながらカルテは失われていて、というよりも医師はとうに物故者で、それがDESであったという保証はなく、また、DESでなかったという保証もない。ただひとつ確かなのは、その薬剤が何であったにせよ、私が健康であるということだ。
ここでひとつ理解しておくべきは、信頼できる真摯な研究者が執筆したり監修している報告書であっても、そのデータの背景にはさまざまな事情があり、データの数値からは見えてこないものもあるということである。
このように、親の化学物質曝露が、子におよび、さらには孫におよぶ、ということが起こりうる。
ただし、DES薬害問題では、極めて稀且つ発生するはずのない年代の病気が複数の女児に見られたこと、大規模なコホートが構築されたことから、因果関係が明らかになった。
しかしながら、多くの場合、因果関係は、証明されにくい。カルテの保存期間、電子カルテの構造起因のデータ連携問題(全医療機関で統一されているわけではない)、検査方法の確立、検査機器などの問題があるうえに、症状の原因をピンポイントで絞り込むことは極めて困難である。
それは、放射線被曝でも同じであろう。
子孫のリスクは増しても、100%のリスクを負うわけではないことも同じであろう。100人いれば、何人かには影響がおよび、残りの者には、その影響はおよばない。
病は気から、我が子は大丈夫、あるいは、私が将来結婚するときには放射線被曝は治療できるようになっているはず、と、安穏と構えるのが正解だろうか。
それとも、多少なりとも危険性があるなら、それを避けるのが正解だろうか。
本稿の目的は、安心を保証することでもなければ、パニックを助長することでもない。
妊産婦、乳幼児、これから子をもうけることになる女子は、後の世代への影響が「あるかもしれないし、ないかもしれない」ということを念頭において、グレーゾーンのリスクを高く見積もるか、低く見積もるか、自分で判断するしかないと思う。
その判断は、「何ごともなかったならば、それはそれでよい」、と思うタイプか、「骨折り損だった」と思うタイプか、で異なってくるのだろう。
このように、【ただちに】のひとつの意味は、今、本人に影響がなくとも、将来的に、子孫に影響が及ぶ可能性を否定できないということであろうと、私はとらえている。
もうひとつ、【ただちに】の意味として、被曝を重ねた場合の晩発性障害が考えられる。
被曝も曝露も積み重ねである。これまで生活してきた環境、あるいはこれからの環境、従事する業務によって、総量は異なってくる。いつ閾値を超えるかは、それぞれ異なる。ましてや個体差もある。科学者も、医者も、何年先に、何パーセントの割合で影響が及ぶのか、明確に答えられなくて当然である。何が起こるか分からないし、逆に、何も起こらないかもしれない。
原発問題はまだ解決したわけではなく、今後も続いていく。その間、被曝の可能性を頭の片隅に置いておかなければならない。
なにしろ我々は、忘れっぽい。そのうち、TVでドラマが始まり、ニュース番組が減ってくると、リスクを忘れるのも時間の問題だろう。うっかり被曝の積み重ねだけは避けなければ、笑い話にもならない。私は、福島から遠く離れて住んでいるが、それでも、原発問題は片時も頭から離れない。
次回、この、もうひとつの【ただちに】の意味について、化学物質曝露の晩発性障害を例に書いてみる。