暴言シリーズ 「日本のソフトウエア品質は世界一」という事実と、その非常識
いつもながらの歯切れのよい木村氏の文章は、今回もまったくその通りとうなってしまいます。
大昔にインド人にオフショアで開発を依頼し、出来上がったものが満足できず、自分でしりぬぐいした経験を思い出しました。
幸い、お試しで依頼した大した代物ではなかったので、リカバリも大したことなかったのですが。
未熟な(かといって成熟したわけではありませんが)当時の私が作成した仕様書に曖昧な部分が多かったのだろうなあと思います。
(もうひとつの問題はせっかく技術トランスファーしたと思ったらすぐに次の会社に移ってしまうという問題もありました。)
当然品質は高いに越したことはありませんが、極端に品質にこだわるといつまでたってもリリースできません。
日本でパッケージソフトが根付かず、カスタマイズアプリケーションばかりという遠因もこの極度の品質指向と関係あるかもしれません。
(ある意味逆なのかもしれません)
品質を語る上でどこまで追求するかでコストが大きく違うという話がありますが、日本ではあまりその部分がユーザーとプロバイダーの間で議論されなかったのだろうと思います。
さらに特注品の場合には、仕様の範囲も限定されるため、限定される中での極限を求められたという側面も大きかったような気がします。
ある程度汎用的なソフトウェアの場合には、使用条件を限定することも困難ですし、その中で100%の完璧性も追求するのも現実的ではありませんので、ある程度の瑕疵を織り込みながら、時間とともに使用ケースを増やしながら品質の継続的な改善を目指すという所が現実的な落としどころでしょう。
エンジニアにしてもあまりに品質を求められると、失敗しないことばかりに頭がいって、それが結局創造的な部分に力を注ぐということを阻害してしまうという所も多分にあるのではないかと思います。