ネットの匿名性議論に対して思うこと-勝間ひろゆき騒動をきっかけに-
■勝間 vs ひろゆき 騒動を見て
数日前、大元さんの記事から、勝間さん、ひろゆきさんの番組を見ました(今は動画が削除されているようですが)。
勝間さんについて、名前だけは非常によく耳にしていましたが、実際に意見やコメントを拝見したのは初めてでした。
番組での内容については、方々でコメントがされていますが、勝間さんはずいぶんと一面的な意見を展開されている方のようですね。
それに対してひろゆきさんはいつもいろいろな角度で多元的に見ようとしているように思えます。
勝間さんの展開は、理解しやすいし、強い賛同者を得やすいですね。一元的でメッセージ性が強いので。
一方、ひろゆきさんの意見の展開は、多元的なので、議論を噛み合わせるのが難しそうです。でも、おそらく逆に許容範囲が広い。こだわりが少ない。圧倒的な支持は得にくいけれど、理解者は結構多く、そのモノの見方(視点)を好む人はおそらく多いのではないでしょうか。
おそらくひろゆきさんと議論をする場合には、論点をまず絞り込んで、合意した上で議論を進める必要がありそうですね。価値観等が異なる相手と議論・検討するには重要なことですが。
勝間さんは、「~~という前提で考えるとして」というような進め方で論点を絞っていきたかったはずですが、「~~という前提って正しいんですか?」という点で合意ができなかった。でも強引に議論を進めたかったので、かみ合わなくなってしまって。
僕自身は勝間さんの意見とは、合わない部分が多いです。でも、オピニオンリーダーとして、非常に影響力があり、その活動範囲の広さには敬意が湧きました。
逆に、ひろゆきさんは以前から意見等を時々拝見していたこともあり、その視点は納得できることが多いです。ネットでの議論もそうですが、何よりも日本においては、「一見正しいかのように扱われている常識・一般論」を疑って、再度検証することから始めないといけないと考えているので、その点がおそらく近いので、非常に好感が持てます。
■ネットの匿名性議論について
お二人の議論の展開についてが長くなってしまいました。ここからが本記事のメインです。
考える元ネタはこちらの産経の記事です。2009/12/6の記事ですが、奇しくも、勝間さんとひろゆきさんが取り上げられてます。
結論から述べますと、ネットは実名での場と、匿名での場の両方がそれぞれ明確に必要だと考えます。
本人の延長としてネットを活用したい場合(オルタナティブブログも多くはおそらくこちら)は、実名での投稿、主張が重視されます。本人の延長を匿名でしようとしても、できません。
企業などが商売をする場合も、もちろん実名でないと困ります。
一方、匿名は、発言者が誰かを特定されない、特定して欲しくない場合に必要です。
何かの悩みを解決したい場合等、匿名であることが非常に重要です。病気や身体的な悩み、そういった、現実ではなかなか言い出せない悩みを、ネット上で共有、または解決することができて非常に助かった(場合によっては本当の命さえも)という事も少なくないです。
実名を出している個人を、匿名の大勢が攻撃する、というような場は問題だと思いますが、現実問題、本当に「不特定多数の大人数が攻撃したくなるような対象」というのは、なかなか起こりえないことだと思います。
匿名であってもあくまで「現実の誰か」が、書き込むという行為をしていることは変わりが無いですので、(ブログなどの)仕組みに問題があるか、意見に問題があるか等、何か原因があるはずです。
原因があれば、それらは個々に対処が可能なのではないかと思います。
いずれの場合も、「どの場合(場)に、いずれを選択するべきか」を、個々のケースで考えて決めることが重要だと思います。
総論で語れるほど、ネットの活用方法は少なくないのが、現状ではないでしょうか。
■ネットの活用方法(リテラシー)は「教育」に任せられるのか
「教育でそのネットの活用の方法、対処の方法を教える必要がある」、ということも非常によく言われますが、その「教育」は一体何を指しているのか。学校でしょうか。
それならば、かなり強く反対したいと思います。
吉田賢治郎さんは個人的にもファンですが、けんじろうさんが対応されたように、ネットをよく理解している人が、本人の価値観、行動と合わせてそれを伝えたり、実際に使ってみせる必要があると考えます。
いや、むしろ親は皆、活用してしかるべきなのかもしれません。おそらく、ネットは否応にも万人にとって「使わなければならないモノ」になりつつあります。
その使い方を、学校で教えて欲しい、というのはとても困った丸投げですし、おそらく活用方法については、価値観や、倫理観も含んだものになると思われますので、むしろ(少なくとも今の日本の制度でいう)学校での教育内容とは相容れないと思うのです。