8割の高校生が、「私個人の政府の決定に影響を与えられない」と考えている
前の記事で、日本が衰退する、だから個人としては脱出しかないんじゃないか、、、と考えました。
民間企業や一部の政治に関わる人達、学者、学生など、頑張っている人も少なからずいらっしゃいます。
でも、個人の視点で考えると、どうしても明るい先行きが見えてこない。それは一体なぜなんだろう、とずっと疑問に思っていましたが、少しそれの答えになりそうなコラムがありました。
若者はなぜ生きづらいのか?――社会学者、鈴木謙介氏インタビュー(前編)
簡単に内容を抽出してみると、以下のような点かと思います。
・ある程度発展した社会は、それまでの生き方モデルが崩壊するのは必然である
・(特に若者が)「社会(世の中)は自分の力で変えられるものではない」と感じている
・物差しが多様化しすぎて、自分の状況が「辛い」と、明言しづらくなっている
・日本特有の状況が追い打ちをかけた
-人口階層の構成と、成長の波の関連
-企業が支える福祉体制の存在
-新しいビジネス、産業が成長できなかった(土壌がなかった)
特に
「私個人の力では政府の決定に影響を与えられない」と考える高校生は約4割で、「まあそう思う」まで入れると8割。同じ調査では米国でも中国でも5割を切ります。
これは、、、かなりの状況ですね。
さらに、コラムのリンク先のベネッセ教育開発研究センターの調査からですが、日本の社会観について、「日本は、努力すればむくわれる社会だ」と思っているかという質問に対し、小学生から大学生にかけて、どんどん減っていることに、落胆します。
世の中を知れば知るほど、変えられない現実を見ていくということでしょうか…。
情報の発信の偏り、またはその価値基準(物差し)について、個人個人の中であまり検討されていないことが、見えない閉塞感を助長しているように思えます。
逆に、この部分には納得できません。
現在は、ビジネスパーソンとして独り立ちしようというような意識の高い人たちに、自分のビジネスを通じて社会を変える、あるいは「自分がビジネスで成功するということが、社会にとって何の役に立つのか」ということを考えさせる回路が失われてしまっている、弱くなっているような気がするんですね。
現在も、志あるビジネスパーソンは、かなりの人が、社会に対して何の役に立つのか、を考えていると思うのですが。
でもそれが空回りしてしまっているように見えるから、余計に悲観されてしまう気がします。
とっくに機能不全に陥っているシステムが、ゾンビみたいになって生き長らえている、「うまく回っていることにしてしまおう」みたいな感じで生き残り、それ以外の道が見えない。あるいは、「もうこれじゃダメだ」と思っているけれども、ほかにないんだというような感じであきらめざるを得ない。いますよね。大学2~3年ぐらいまでは調子いいことを言っていた奴が、3年の夏ぐらいから突如真面目な就活生に変わってしまうという(笑)。そういう学生の状況が、システムがいかにゾンビ化しているかを、物語っていると思います。
この部分もかなり同意してしまいました。
もう自分にとっても少し昔になりますが、世の中について、いろいろ考えるように促す授業は多々行われていたし、人生のキャリアプランを考える機会もたくさんあったにもかかわらず、大学では結局就職を進めている、そして学生は結局その道をみんな選んでしまっていた、という状況でした。
まだ悩みは尽きそうにありません…。
こちらのコラムの中編も興味深いですので、また考えてみたいと思います。