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両国駅付近を探索

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 今回は両国駅南側付近を探索してみました。吉良邸跡があるだけに赤穂浪士関連が多い感じでした。

  • 安兵衛公園
  • 前原伊助宅跡
  • 吉良邸正門
  • 吉良邸裏門跡
  • 吉良邸跡
  • 中島伊勢住居跡
  • 回向院
  • 両国橋
  • 赤穂浪士休息の地
  • 小林一茶居住の地
  • 勝海舟生誕の地
  • 本因坊屋敷跡
  • 芥川龍之介生育の地
  • 芥川龍之介の文学碑

 出発は都営新宿線の菊川駅です。交差点を北上します(三ツ目通り)。都営バス立川バス停の近くを西に入ったところにあるのが安兵衛公園(墨田区立川3丁目15-6)

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 赤穂義士が吉良邸へ討ち入る際に集結した「堀部安兵衛道場」があったといわれる場所です。小綺麗な小さな公園です。年々整備がされているような気がします。

 さらに吉良邸に向かい吉良邸敷地の南側にあるのが前原伊助宅跡(東京都墨田区両国3丁目2−4)

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 赤穂浪士四十七士の一人前原伊助が「米屋五兵衛」と称してここに店を開業していたようです。目に前の吉良邸の動向を探っていたのでしょうね。

そしてそこから東に向かったところにあるのが吉良邸正門跡(墨田区両国3丁目6−7)

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東に向かって見えてくるのが吉良邸裏門跡(墨田区両国3丁目10−1

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その2つの門の中間にあるのが吉良邸跡(墨田区両国3-13-29本所松坂町公園)

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2つの門の位置からするととても大きな屋敷だったことがわかります。東西73間(134m)、南北は34間(63m)坪数2,550坪だったそうです。

 この赤穂浪士の討ち入りですがなぜ浅野内匠頭は吉良上野介に切り掛かったのか?どうしてこの事件の後幕府は吉良邸は江戸城の近くからこの両国の地に引っ越させたのか?なぜ討ち入りがあるかもという噂がありながら赤穂浪士たちは江戸城近くに身を隠せたのか?など個人的にも謎は多いのですが、まあそのうち新たな発見があって真相がわかってくるのでしょうか。

 この吉良邸跡の目の前にあるのが中島伊勢住居跡、

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 葛飾北斎が養子になった幕府御用達の鏡師中島伊勢の住居があった場所です。赤穂浪士討ち入りで吉良側で最も活躍したとされる小林平八郎の孫娘が嫁いだのがこの中島伊勢、そしてその子が葛飾北斎だという伝説もあります。真相は不明ですが北斎がこの話を広めていたようです。

 この吉良邸跡を東に向かっていって右側に裏門が見えてくるのが回向院(墨田区両国2丁目8−10

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 この回向院は明暦3年(1657年)に開かれました。"振袖火事"の名で知られる明暦の大火(1657年)で亡くなった10万人を当時の4代将軍家綱が供養したお寺です。赤穂浪士は討ち入りの後このお寺に寄ろうとしましたが関わりになることを恐れた僧が入山を拒否したそうです。
日本一の無縁仏としても知られており鼠小僧のお墓もありました。江戸時代には相撲もここで開催されていたようですね。

 さらに西に向かうと両国橋です。この両国橋の南側約50メートルのところにあるのが赤穂浪士休息の地

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 当時の両国橋はここら辺にあったようでした。両国橋は大名たちの登場路だったようでここは渡らず無用な衝突を避けたようです。

ここを隅田川蔵に南下し乳熊(ちくま)屋味噌店に向かったようですね。こちらにもご参照ください。https://blogs.itmedia.co.jp/osonoi/2020/07/post_3.html

さて赤穂浪士以外にも史跡はたくさんです。

小林一茶居住の地(墨田区緑1丁目1)

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勝海舟生誕の地(墨田区両国4丁目25−12)

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本因坊屋敷跡(墨田区両国3丁目5−7)

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芥川龍之介生育の地(墨田区両国3丁目21−18)

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芥川龍之介の文学碑(墨田区両国4丁目27−1)

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 やはり歴史が長いだけあって両国付近は見所が多いですね。両国駅付近で時間が余ってしまったらぜひ歩き回ってみてください。

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