木場、門前仲町付近を散策
Go toキャンペーンは都民には関係ないからというわけではありませんが江東区内を散策してきました。江東区のほとんどが江戸期以降の埋立地です。しかしいろいろな歴史が詰まっているようです。もういちどこの名所を見直すきっかけとなりました。今回行ったのは
- 木場高潮の波除碑
- 松平定信の海荘跡(はまやしきあと)
- 伊能忠敬像
- 伊能忠敬宅跡
- 小津安二郎生誕の地
- 平賀源内電気実験の地
- 赤穂浪士休息の地
- 佐久間象山砲術塾跡
- 渋沢栄一宅跡・
木場高潮の波除碑
木場駅の南側の大横川の南側を東西に延びている牡丹町通りの平久橋の西側のたもとにあるのがこの波除の碑。寛政3(1791)年9月に暴風雨が襲いこの木場洲崎地区に甚大な被害をもたらしました。被災後に波除碑(なみよけひ)が設置されたそうです。
当時はまだ江東区の埋め立ても今の木場駅の南側ぐらいまでだったのでしょうね。現在ではこの場所の南側を見ても海は全く見えませんが。(東京湾までは約3キロぐらい)
この牡丹町通りをさらに西側に向かって琴平通りを北上、大横川のたもとにあるのが松平定信の海荘跡(はまやしきあと)
松平定信と言えば寛政の改革ですね。江戸時代中期の大名、老中。陸奥国白河藩3代藩主。絵で分かるように江戸時代はここら辺も海沿いだったんですね。
琴平通りを北上、永代通りを左折し門前仲町に向かっていくと右側に見えてくるのが富岡八幡宮。その入り口に伊能忠敬の像がありました。
伊能忠敬は上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)で事業を成功させてのち50歳を過ぎてから地図作りを学びその後全国で測量をして全国地図『大日本沿海輿地全図』を作っていったそうですね。人生100年の現代。もっと多くの人が彼と同じように50歳代から何か新しいことにチャレンジできるのではないでしょうか?
そしてこの富岡八幡宮の前の永代通りをさらに西に行き、葛西橋通りを右折しばらく行って右側にあるのが伊能忠敬住居跡
彼はここを拠点に全国に測量に向かったようですね。測量の前には上記の富岡八幡宮にお参りをしてから旅だったようです。
さらに葛西橋通りを進み清澄通を左折、しばらく行って左側に見えてくるのが映画監督、小津安二郎生誕の地
明治36年(1903)12月12日、この地で生まれたようです。「東京の宿」や「一人息子」など江東区を舞台にした作品も数多くある様です。
この生誕の地を西に向かって行って隅田川の手前を右折して右側に見えてくるのが平賀源内 電気実験の地
この地にあった自宅で平賀源内はエレキテルの実験に成功したようですね。このエレキテル、当時は大名屋敷などで見世物として使っていたようです。
来た道を戻ってさらに進み永代通りの手前左側にあるのが赤穂浪士休息の地
吉良邸に討ち入りした後赤穂浪士の一行が、泉岳寺に向かった途中に乳熊(ちくま)屋味噌店に立ち寄り、甘酒の接待を受けて休息したそうです。討ち入りの後この辺りを通った時は既に朝だったのでしょうか。
永代通りに出て左折してすぐ左側に見えてくるのが佐久間象山砲術塾跡
象山は松代藩士で、幕末の兵学者・思想家です。この地で西洋砲術塾を開いたそうです。門下生には吉田松陰や坂本龍馬、勝海舟などその後、明治の時代に活躍した人たちがいました。
その横にあるのが明治時代実業家として活躍した渋沢栄一宅跡
本邸を中央区にありこの江東区(当時は深川)の深川邸は別邸だったようです。
全部を歩いて回るとかなり時間がかかります。途中深川飯でも食べてゆっくり回ると良いでしょう。