【ブランドを守る】ソニー盛田御大の心意気にグッとくる。
昨日アップした、昔のソニー人材募集広告の記事にブランドについての記述があったので、続けてちょっと書かせていただきたく。
同じくソニーの歴史資料館の展示から。
ブランドを守る
1955年(昭和30年)4月、盛田は商談のために渡米した際、初めてSONYのマークをつけた商品であるこの「TR-52」をサンプルとして持って行った。これにアメリカの大手時計会社であるブローバー社から10万台の引き合いが来た。当時のソニー(当時は東京通信工業)には願ってもない大きな商談だったが、1つ条件があった。
それは、SONYでは売れないから、ブローバー社のブランドで売るということだった。盛田は、苦労して作ったラジオを他社ブランドで売るわけにはいかないと断った。するとブローバー社の社長は、「誰がSONYなんていう会社を知っているんだ。自分のところは50年の歴史がある世界に知られているブランドだ」と自慢気に言った。
それに対して「それでは、50年前、何人の人があなたの会社の名前を知っていたのか?我が社は、50年前のあなた方と同様に、今50年の第一歩を踏み出したところだ。50年経ったら、あなたの会社と同じくらいにSONYを有名にしてみせる。だから、この話はノーサンキューだ」と盛田は答えた。
目先の利益ではなく、会社の将来を考えての決断だった。盛田のこの決断は間違ってはいなかった。このわずか数年後、トランジスタラジオが大評判となりソニーの名前は一躍世界中に知れ渡ったのである。
美談ですよね。超かっこいい。守るというか、貫くというか。
ブランドとは、信頼の元に顧客が作るものということも言われますが、やはり本人がブランドの大切さを理解し、望んでいないと、あそこまでの大ブランドにはならないのだなと思いました。
それから、ロゴ。
1957年から、マイナーチェンジこそあれ、変わっていません。
CIをわりと頻繁に変える大企業もありますが、腰を据えて変えないことも、ブランド構築の重要ポイントのひとつなのかなと。
世界の津々浦々まで行き渡るブランドになるには、それこそ50年単位の時間がかかるでしょう。そのあたりも意識していたのかと思うと、盛田さんの言葉が、単なるタンカではないということがあらためてわかるような気がします。
ロゴの原器というものも展示されてました。こういうのちょっとしびれますね。
今の若いソニーの社員さんも、こういうブランドへの思いは共有しているのでしょうか。