【やっと気づいた】本の読み方を変えたら何だかいい感じ。(+書評のカンタンな書き方)
最近、40年間考えもしなかったことに気付いたんですね。本の読み方です。
きっとわたくし、元来まじめな性分で、本というのは読み始めたら全部きちんと読まなくてはならないと思い込んでいたのです。
いやー、そうじゃなかったんですね。
別に気が進まなかったら、そこでパタリと本を閉じればいいし、読み飛ばして次の章に行ったり、いきなりあとがき読んで全部読んだ気になってもいい。
え、そんなの当たり前?
そうだったのか、、、(笑)
↑すごいなこれw
ホント笑っちゃうくらい、本に関してはストイックというか、バッファがないというか。
ですから、「この本を最後まで読む!」という気にならないと、本を読み始めることができなくて、積読本がかなりの数になってしまうという、そういう人間だったわけです。
しかし、最近歳のせいか、いろいろと(いい意味で?)力が抜けてきまして、「別に無理して読まなくてもいいんじゃない?」ともうひとりの自分が言ってくるものですから、そのとおりにしてみたら、なんと読書が軽やかなこと。
幼少の頃、物語ばかり読んでいた反動か、大人になってからはほぼビジネス系などの実用書しか読まなくなったこともあり、ストーリーの伏線を楽しみながら、また味わい深い行間の余韻に浸りながら読むわけでもありませんのでね、サクサク進めばいいのかと、やっと気付いたのです。
すると、本に関するいろんな判断も速くなりました。
例えば、気になる本を買うか買わないかとか、手元に置いておくかブックオフに出してしまうかとか。買ってダメだったら「損した~」じゃなくて、買ってダメでも「別にいいじゃん手放せば」という感じに、価値観さえ変化してきた感じです。
確かに、そう思い始めると、買うかどうか迷ってる時間ももったいないし、もし「当たり」だったら少しでも速く有用な情報が知れるわけで、タイムイズマネーな部分でもちょっと得します。
で、同じことが書評の書き方にも当てはまるわけですね。
例えば献本いただいたりして、実はあまりピンとこなかったんだけど、義理もあるのでレビューを書かないわけにはいかないときなども、無理して全部読んで感想文を書かなくてもいいと思うんです。
きっとそういうのって、見ても無理矢理感が漂っていて、面白い書評にはならないはずですw。
でも書く以上は、どなたか本当にその本がお役に立てるであろう方に情報を届けたいですからね。
そこで、全体の感想ではなくて、「ここは面白かったなぁ。」という一点だけをクローズアップして書けばいいと思うのです。全部読めなさそうな場合も、目次を見て興味を持った部分だけしっかりと読んで、その部分の感想を集中して書けば、そこそこ読めるレビューになります。ひとつのトピックスに限ることで、書きやすくもなりますし。
結果、せっかく本をいただいたのに読めないまま書けないまま時間だけ過ぎてしまうという不義理の発生率も下がるかなと。(まずは自分で実験です)
昔から読書感想文が苦手な人間だったのですが、30年前にそれに気付いていれば、夏休みの宿題ももうちょっとスムーズに終われたかなーと思う今日この頃です。