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小学六年生 (祝!オルタナ6周年!)

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オルタナブログ6周年おめでとうございます!

6にまつわるストーリーをということで、すぐに思いついたのが「小学校年生」でした。

私は、ちょうど小学校6年生の8月、父の仕事の都合で、台湾(台北)に住むことになりました。
小6では、台湾対する具体的なイメージは無く、行く前は不安でしたし、正直日本の地元の友だちと離れるのもイヤでした。

でも、実際に台湾に住んでみたら、とても良いところでしたし、食べ物も美味しいし、夏は暑くてプールでたくさん泳げるし、楽しい友達もできて、現地での2年半はあっという間でした。

中2の終わりで受験のために日本に帰国し、高校は日本の高校に通いました。

高校は、8割が帰国子女という学校でしたが、その多くが欧米からの帰国子女でした。アジアからの帰国生はマイノリティーで、ある時英語圏から帰国した友達に「いくら外国に住んでいたとしても、(あなたみたいに)その国の言葉も満足にしゃべれない人は何の意味もないね」と言われ、傷つきました。確かにその頃は、英語以外の外国語で受験できる日本の学校は少なかったため、アジア圏駐在の場合、現地の言葉を真剣に勉強している子供はそう多くは無かったと思います。それよりも、日本人学校に通い、両親の海外赴任が2~3年で終わって日本に帰国した後に、日本の勉強についていけることが大事でした。

そんなわけで、高校~大学~就職活動でも、「なんか中途半端な帰国子女の私」を、うまく面接でアピールしたり、仕事に活かしたりすることもできず、その部分はずーっと、「もやーっと」していました。

それが、ここ何年か(特にこの5~6年ぐらい)で、その「もやーっと」がだんだんスッキリしてきて、なんとなくパズルのピースが「カチッ、カチッ」と収まるべき場所にはまってきた感じなのです。多分、ひとつには、自分から「今の台湾」と積極的に関わりをもつようになったことがあります。例えば、仕事やプライベートで新しい台湾の友だちができたり、現地の色々な場所を旅行したり、中国語を習い始めたり。それによって、自分の中で台湾を再発見したような気持ちになって益々好きになったこと、それをシェアできるこのブログをもったことも自分の中で大きいです。あとは、もちろん、中国語を通じて、台湾ではなく広い意味での中華圏にも興味が広がりました。

もうひとつの大きな理由としては、「こんなにアジアが注目される時代が来るとは思わなかった」ということです。例えば、音楽チャートで韓流グループが上位にランクインしたり、中国で次々に日本人学校が開校されたり、華流ドラマがTVで放映されたり…。私が中高生の頃(80年代半ば~90年代初頭)では、これは本当に想像もしなかったことでした。インターネットの発展もひとつには大きな意味を持っていると思うのですが、欧米だけでなくアジアも含めたより多くの国の文化に簡単に触れられることになったことは、私としてはとても嬉しく、「この時代を楽しみたい」という気持ちでいっぱいです。

ということで、私にとっては、「小学校年生」はとても大きな意味をもっていて、そこからの色々なことがなんとなく重なりあって、中途半端だった自分の輪郭がくっきりしてきたのが、(遅いかもしれませんが)30代半ばとなったここ数年のことなのです。もちろん、そのなかで、オルタナティブ・ブログも大きな意味を持っていまして、書きたいこともたくさんあるので、ブログを読んでいただいている皆様、ばんちょ~はじめオルタナ・ブログの皆様、これからもよろしくお願いします!


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1986年8月 初めて泊まった台湾のホテルは圓山大飯店。子供心には大きすぎて怖かった。

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