知識の奴隷
我々が何か新しい着想なり、アイディアなりを手に入れようとする時に、最大の障害となるのは、自分自身であると思っています。知識を身につけることは必ずしもいいことだけではなく、言い換えれば、
「知識=先入観」
であると考えています。従って、如何にして自分自身を捨てることができるかがポイントとなるでしょう。
博士後期に進んだ学生は、高い専門性を持つという特長がある一方で、その専門性の高さ故に、「できること」と「できないこと」を先入観として持ってしまっています。そうすると自動的に、極めて狭い範囲でしか可能性を探ることができませんし、まして、「できない」ことについて再考するという機会は中々得られないでしょう。
このことに気づいたのが、私自身が不動産の分野に入ったことがきっかけでした。当初は、不動産の「ふ」の字も知らないような状況であったからこそ、色々な問題点やおかしいと思う点を多く発見できております。
自分の専門分野以外に首を突っ込むと非常に新鮮な目で客観的にその分野を眺めることができ、自分の世界を広げられるのではと思っております。
更に自分自身がその分野では文字通り「ひよっこ」でいられるので、謙虚でいられますし、自分自身が「若く」感じられることも利点でしょうか。
勿論、自分自身のbackgroundが着想の基礎となっていることは事実ですが、自分自身の持っている何が常識で、何が非常識なのかがわかってくると、だんだんと面白くなってきます。
「非常識を常識に、常識を非常識に」したときに新しいビジネスが開けるのかなと最近感じている次第です。
新しい分野に首をつっこんで、得た新鮮な頭で、自分の専門分野にフィードバックをかけると面白い着想にたどり着けるかもしれませんね。
先入観を少なくするという意味では、学歴は中卒が理想的なのかもしれません。
タイトルは、ヨシオカさんの パクリです。ごめんなさい(笑)。