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暗譜と演奏の多様性

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先日、音大の先生をまじえてピアニストの知人とお話していたときのことです。

ずいぶん達者だった知人のピアニストが、今はまったくソロを弾いておられないと聞いて、どうしたものかと話していました。

よくよく聞いてみると、やはり暗譜が怖いとのこと。
伴奏の仕事をしていると、譜面を見て弾くことに慣れてしまい、譜面を外すのが怖くなってしまうのだそうです。
また、年齢を重ねて、学生時代より記憶力に不安がでてきたとおっしゃいます。

暗譜は、学生でも、卒業しても、変わらずプレッシャーはかかるものです。
ただ、何度も経験していると、覚えるコツが分かってくるので、学生時代より暗譜は早くなるような気がします。
それでも、一期一会の真剣勝負で、頭が白くなってしまうのではないかという怖さは常につきまといます。人間である限り絶対に大丈夫ということはないのです。

私の師匠は、70歳を過ぎてもなお全てを暗譜で舞台に立たれます。
最近のソロリサイタルも2時間のプログラムを、しかも新しい作品も含め、完璧に演奏されていました。
人間の可能性が無限であることを目の前にし、こちらが奮い立つような思いでした。
しかし、師匠は絶対に暗譜しなくてはダメだとは思われていないようです。音大を卒業したご自分の生徒に、「暗譜の恐怖で勉強をやめてしまうよりは、もう卒業したのだから、譜面を置いて良いんじゃない?」とおっしゃっていたのが印象に残りました。
ご自分が暗譜で臨まれる姿勢を貫く一方、生徒がそれぞれのスタイルを確立していくことや多様性を奨励なさっているのだと思いました。

リヒテルは、耳の不調から晩年は譜面を置いて演奏していました。
しかし、もしリヒテルが暗譜をやめるとともに引退してしまったのなら、深い境地に至った音楽は残されなかったのだと思うと、やはり譜面を置いてでも続けてくださったことは有り難いと思えます。

また最近は、ラン・ランやポゴレリチなどを始め、達者な演奏家でも譜面を置くことがあり、多様性が認められてきたのではないかとも思えます。

個人的には、出来る限りソロの作品は暗譜をして臨みたいと思っています。
やはり、どこかで穴があくのではないかというリスクを感じない訳ではありません。しかし、譜面がない不自由さはありますが、心が自由になるような気がしています。

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