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記憶と音楽 暗譜をやめてしまったピアニスト、リヒテル

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演奏会の後、必ず驚かれることがあります。
 
「よく、あんなに覚えて弾けますね。」
 
つまり「暗譜」のことです。
 
クラッシックのピアノ演奏は暗譜が当たり前。
どんなに技術的に、また音楽的に素晴らしく弾けていたとしても、暗譜で止まってしまえばそれまで。特に試験やコンクールでは、一番やってはいけないことなのです。
人間ですから、舞台で記憶が抜けてしまうことが無いともいえません。
 
暗譜があるがために、ピアニストのプレッシャーやストレスは何倍にもふくれあがるのです。
「本番前、必ず舞台で暗譜がわからなくなる夢をみてしまう」と話しているピアニストがいましたが、気持ちはよく分かります。
 
さて、その暗譜をあるときから完全にやめてしまったピアニストがいます。
 
リヒテルです。
 
リヒテルが日本に来日した1974年59歳のときは、すでに譜面を置いて演奏していたそうです。
演奏会前の移動中、全てを忘れそうになり、頭が真っ白になってしまったと言います。
リヒテルの演奏会に行ったことがあるという人に、様子を聞いてみました。
「リヒテルは譜めくりを伴って真っ暗な舞台に現れる。ピアノの横に小さなスタンドが一台あるだけ。譜面台に譜面を置き、上着のポケットから老眼鏡を取り出し、やおら弾き始める。」
 
しかし、リヒテルは「記憶力が良すぎて苦痛だ」とも言っているほど、驚異的な記憶力の持ち主であることも事実。
なぜ譜面を置くようになったのか、村上輝久著「いい音ってなんだろう」に彼自身の言葉が書かれていました

     ・・・・・(以下抜粋)・・・・・
 
聴衆の心に触れる良い音楽を作らなければならないのが第一の問題であるべき時に、無駄な努力の原点となる「暗譜」というこの記憶力の競争の類は、まったく子供じみて空疎なことです。
もちろん、楽譜を前にして完全に自由であることは、容易ではありません。それは多大な時間と努力、練習と慣れが必要であり、だからこそ出来るだけ早い時期から始めなければならないのです。
 
     ・・・・・(以上抜粋)・・・・・

暗譜で弾くときと譜面を見て弾くときでは少し感覚が違うように思えます。
譜面を見ているときというのは、どうしても冷静な部分が多くなってしまうように感じてしまうのです。
譜面を置いていても、あれだけ自由にイマジネーション豊かな演奏が出来るのは、やはりリヒテルだからこそ、なのでしょう。そして、純粋に音楽だけを追求し、徹底して商業主義に乗らなかったリヒテルの首尾一貫した姿勢が強く感じられるのです。

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