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ドキュメンタリー「ホットコーヒー裁判の真相」を見て

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NHK BS1の「世界のドキュメンタリー」という番組で、一昨晩から2夜続けて「ホットコーヒー裁判の真相」というドキュメンタリーが放送されました。「おばあさんがマクドナルドで買ったコーヒーをこぼして大やけどを負い、訴訟を起こして巨額の賠償金を得た」として、アメリカの“訴訟大国”ぶりを示す典型的な例として知られています。

何かのきっかけで wikipedia の「マクドナルド・コーヒー事件」の「真偽と真相」を読んでから、この件が気になっていました。ここには次のように書かれています。

実際は、リーベックには、皮膚移植手術を含む7日間の入院と、その後2年間の通院が必要であり、娘はそのため仕事を辞めて介護にあたった。そして、治療費は1万1千ドルにも上り、治療が終わっても火傷は完全には癒えず、その痕が残った。また、マクドナルドは裁判中に「10年間で700件というのは0に等しい」と発言するなど、裁判において陪審員の心証を損ねた。

このドキュメンタリーでは、以下のトピックを通じて不法行為改革(損害賠償額の制限など企業活動に有利な制度変更)の問題点を指摘しています。

  • マクドナルド・コーヒー事件
  • 必要な治療が受けられず脳障害を負った子供と賠償金の上限制度
  • 企業に不利な意見を持つ議員に仕組まれた汚職の嫌疑
  • 訴訟ができなくなる雇用契約書の強制的仲裁条項

Comics35_lo■ホットコーヒー事件

かつては私も「やけどをした」程度のことしか知りませんでした。番組では、やけどの写真が出てきますが、“コーヒーをこぼして負ったやけど”と聞くだけでは想像できないほどひどいもので、大変な治療になったことが容易に想像できました。心証を損ねた発言もあったのでしょうが、陪審員が「これはひどい」と感じても不思議はないものです。番組では、wikipedia に書かれているような内容や市民の「訴訟で大儲け」という印象などがインタビューを通じて語られています。

番組を見ることで、コーヒー事件の判決は決して“おかしなもの”でないことが伝わってきますが、(そこはしかし天の邪鬼な性格ですから)素直に受け取るばかりではなく異なる側面からも考えてみたいと思います。

まず、コーヒーをこぼしただけとは思えないひどいやけどになった理由は何か、ということです。番組では熱いお湯がかかれば皮膚の表層を超えたやけどになると伝えられていましたが、とてもそれだけとは思えない状態でした。wikipedia には、やけどが重傷となったのは事後の対応に問題があったと書かれています。おそらく、すぐに患部を冷やすだけでも随分違っていたのではないかと思います。

また、マクドナルドは、対策としてカップに熱い(HOT)と表示し、コーヒーの温度を5度下げる(※)ことにしました。これでももう同様の事故があった場合でも、過失責任を問えなくなるのでしょうが、5度下げたとしても同じように服に熱いコーヒーがかかったまま放置していれば、やはりひどいやけどになりそうです。
※元資料には「180~190°F(華氏)」とあったので「170~180°F」に修正したと思われます。

また、陪審員が、決め手になった理由の一つに「マクドナルドは700件のやけどのクレームを記録していたのに、取るに足らないものとして無視していた」ことを挙げていました。しかし、こうした情報を捨てずに記録するシステムがあったということも注目してよいと思います。

「だから判決は不当だった」ということではありませんが、これが零細なコーヒーショップであれば、ここまで巨額の賠償金が科せられることもなかったでしょう(原告の要求も元は治療費のみ)。まして自宅でコーヒーを淹れただけなら、誰を相手にすることもできなかったはずです。また、日本には懲罰的賠償制度はありませんから、同じようなことがあっても、同じような金額の賠償金が科せられることはありません。日本では“懲罰”は国が科すもので、仮に罰を与える必要があるような落ち度があるなら、刑事事件として告訴されることになります。

■責任を免れるための契約

このドキュメンタリーの最後のトピックは、ハリバートンの女性社員がイラクに行き、男性ばかりの宿舎に入れられ、レイプされたにも関わらず訴訟すらできないというものでした。雇用時に結んだ契約に「強制的仲裁条項」があり、問題があっても訴訟を起こさず仲裁機関に任せることになっており、仲裁機関は“得意先”である企業に有利な判断しか下さない、というものです。実のところ、個人的にも仲裁機関が企業に有利な判定を下す傾向にあると感じていたところですが、このような事件が起きても、仲裁条項が持ち出されるとは驚きです。

一方、ソフトウェアの世界では、当たり前のように使用許諾契約があり、免責条項(disclaimer)が規定されています。ソフトウェアに不具合があったとしても、あるいはその不具合が通告されているのに修正されていなかったとしても、そのソフトウェアに起因する損失について一切の責任を負わないというものです。ある程度の規模のソフトウェアになれば、大なり小なり不具合が紛れ込んでいる可能性はありますし、動作上の不具合ではなくても脆弱性などがあれば、それによって利用者が損失を受ける可能性はあります。比較的少額で販売するソフトウェアについて多額の損害賠償の責任を負わされることになったら、ほんとうに開発が萎縮しかねないからです(高額で受託するソフトウェア開発ならば、通常は不具合に関して何らかの対応を行うという取り決めがあるでしょう)。

この考え方を一般化すると、商品の販売における製造物責任が求められる究極の姿は、販売時に免責条項の付いた契約が求められることかもしれません。以前、「CD に「使用許諾契約書」が添付される日」というエントリを書いたことがありますが(※)、未成年との契約は成立しにくいという問題はあるものの、個別の契約を付与することで通常の商品売買で求められる責任を逃れたり、条件を厳しくすることが可能です。それは、どこまで許されるのでしょうか。
※このエントリは、製造物責任とは関係ありません。

■放送予定

オリジナル(原題「Hot Coffee」)の公式サイトでは予告編が公開されています(英語)。また、3/12、13の午後6:00に、改めて BS1 で放送があるようです。興味を持たれた方(かつ衛星放送が見られる方)は、ぜひご覧ください。アメリカは訴訟の数も(もちろん弁護士も)多いのですが、それがどのように社会に影響しているのかなど、この番組を見てアメリカのような体制が望ましいかどうか考えるヒントになると思います。

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