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著作権の報酬請求権化と権利の集約

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著作権を許諾権ではなく報酬請求権化すればもっと活用される、と言われることがあります。しかし、実際にはほとんどの著作権ビジネスが著作権を報酬請求権化することで成り立っています。書籍の著者は出版社と出版契約を結ぶことで、書籍の販売に応じた印税を受け取ります。一冊ごとに販売の許諾を受けるということはありません。より大規模に報酬請求権化しているのが日本音楽著作権協会、JASRAC です。日本の商用楽曲のほとんどについて、著作権を報酬請求権化しています(著作隣接権にあたる原盤権は JASRAC の管理下にありません)。

報酬請求権化することで、著作権者は著作権の勝手に許諾できなくなります。たとえば、報酬請求権化せずに自分で書籍化すれば嫌いな人に売らないということもできます。あるいは、誰でも自由に自作の楽曲を利用してもらうために JASRAC に委託しないということもできます。

■「盆回り」

かつて、「8時だョ!全員集合」という番組があり、コントが終わって舞台を撤収するときにかかる「盆回り」という曲があります(作曲者のたかしまあきひこ氏の Web サイトで提供されているサンプル MIDI ファイル)。たかしま氏は、かつて次のように書かれていました

<CDにならない理由>

2)CDにするということは、公開になるというとです、
  出たとたんに、いろんなバラエティで使うでしょうね、
  ドリフで生まれた音楽だから、他では使ってほしくないですよね。
  すごい、かっこいい劇伴が、他の番組で使われているのを
  聞いたことありませんか?

日本では商用楽曲の包括契約があるので、商用 CD として販売することは、そのまま他のテレビ番組で利用されることになります。作曲者として番組に思い入れがあるので、そのようには利用されたくないということでしょう。もっとも、上記の記載は当時のもので、現在ではCDとして販売されており、JASRAC にも登録されています。実際に、ドリフとは関係ないテレビ番組で使われているのも聞いたことがあります。

wikipedia によれば、ムーミンの作者トーベ・ヤンソンも、行き過ぎた商業化を避けるためにディズニーへの利用を許諾していないとあります。そうでなくてもコンテンツの世界観を重視するということは、ごく一般的にあります。そうした作者の思い入れを無視してでも、許諾権をすべて報酬請求権化すべきでしょうか。むしろ、(報酬請求権化されているためではありませんが)なんでもかんでもパチンコになってしまう日本のコンテンツは許諾条件が寛容な方でしょう。

■コンテンツの制作と流通

著作権を報酬請求権化するのは、平たく言えばその方が儲かるからです。出版契約を結んだり、レコード会社を通じて JASRAC に信託したりすれば、“誰それに売らない”とか“演奏させない”ということが言えなくなる代わりに対価が受け取れるようになります。本来、「報酬請求権化を進めよう」ということは、「著作権者に儲かる(魅力的な)仕組みを提示しよう」ということと等価なはずです。

以前、Spotify について取り上げましたが、1曲ストリーミングするたびに0.4セントを支払うことができれば(かつ、ある程度のボリュームが見込めるのであれば)、その仕組みに乗ってくるレコード会社はあるのではないでしょうか。なくなってしまいましたが、かつての napster Japan に参加していたレコード会社くらいは参加してくれそうに思います。

このエントリでは、Spotify から(売り上げの少ないであろう)インディーズレーベルが離脱しているという件にも触れましたが、“総額”が少なければ魅力がないと感じられてもしかたがありません。ときどき「売り上げの何割が支払われる(あるいはマージンとして取られる)」ということが話題になります。たとえば、「iTunes Store が3割程度のマージンしか取らずクリエイターに7割が支払われるのは、出版社が著者に払う1割程度の印税に比べて随分高い」というような件です。そもそも iTunes Store は流通であって、出版社と比較すべきものでもないのですが、クリエイターにとってより重要なのは“比率”ではありません。たとえ9割を支払ってくれたとしても、売上が1万円しかなければ9千円の収入にしかなりません。報酬請求権化するなら、「売上に対して高い割合で報酬が得られること」よりも「まとまった額の報酬が得られること」の方がより重要なことです。

■権利の集約

出版社に著作隣接権(版面権)を付与するかどうかという問題で、出版社の力が強くなりすぎるという懸念を示される方がいます。私は版面権がなくても、出版社から条件の厳しい出版契約が提示されれば(著者が受け入れざるを得ない状況であれば)、出版社の力は十分強くなるだろうと思っているのですが、日本で既存の書籍の電子化が進まなかったのは、まさに出版社に権利が集約されていなかったことが原因ではないでしょうか。

もともと、日本の電子書籍市場はケータイ向けには大きな市場がありますが、パソコンなど他の市場は小さなものにすぎません。過去作品を電子書籍化したところで、その手間に見合う収益が得られるかどうか分からない上に、出版契約に電子化の項目がなければ、新たに許諾の取り直しということになります。アメリカでは、著者の権利はほぼ出版社に委ねられ、ほとんど著者には許諾権が残されないそうです(その代り報酬請求権を得る)。日本でも「あらゆる利用について出版社に任せる」という条件であれば、許諾を取り直す手間が省けたはずです。実際、そのような全面的な条件を追加しようとしている出版社もあるようですが、今度はそれが批判されているのを見かけることがあります。欧米のレコード会社は、レコードの売上以外も全面的に対象となる360契約が当たり前になっているとも聞きます。レコード会社は、レコードの売上だけに依存しない活動ができます。

そうした中、日本で電子書籍が進まないことを批判しつつ、出版社やレコード会社に権利が集約することに懸念を示すという人は何をどうしたいと思っているのでしょうか。

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※このコマの続きはこちら→「いいじゃねぇか、減るもんじゃねぇんだし

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