私的録音録画補償金制度の問題点 ※(無駄に)長文注意
グーグル・ブック検索の修正和解案では、事前の強気という情報とは裏腹に、対象が英語圏の国(アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア)の書籍に限定されることになりました(→公式サイト)。詳細に調べてみたわけではないのですが、おそらく日本の書籍への影響は極めて限定的なものになるでしょう。また、今回の和解が元々「米国」に限定されていたのですから、すでに日本でも実施されているブック検索(検索利用や一部の参照)については、和解案の影響はなく従来通り継続されるものと予想します。なんだか「オレの時間を返せ」と思うところではあります。
閑話休題。
さて、アナログチューナー非搭載レコーダーについて東芝が私的録画補償金を徴収しなかった件について、私的録画補償金管理協会(SARVH)が、訴訟を起こしました。この件について、文化庁が「アナログチューナー非搭載機も補償金の対象である」と回答したことを問題視し、MIAU や主婦連合会が提言などを行っています。この件については、私も当初文化庁の回答を疑問視していた一人だったのですが、さまざまな記事や意見を見た結果、その理解は正しくなかったと反省しているところです。すでに複数の人が指摘している通り、現行の補償金制度については問題があるのですが、それについては後述するとして、まず文化庁の見解について述べていきます。
MIAU や主婦連は「文化庁は回答を撤回せよ」と提言しています。しかし、回答を撤回することは可能なのでしょうか。立法、行政、司法という三権分立を言うまでもなく、文化庁を含む行政府は法律に基づいて仕事をするのですから、“法解釈ができない”ということは少なくとも理屈の上では許されません。役所に「スーパーのレジ袋は、燃えるゴミですか? 燃えないゴミですか?」と尋ねたときに、「自分で“考えてください”」と言われないのと同じことです(判断するために素材を調べてください、とは言われるかもしれません)。
東芝はニュースリリースにおいて「対象機種であるかどうかの結論が出ていない」と主張していますが、「議論すべき題材である」あるいは「文化庁は調整役を果たすべきである」という件とは“別に”、「法律上、アナログチューナー非搭載機が補償金の対象であるかどうか」を尋ねられたら、行政の責任として答えなければなりません。「結論は出ていない」と答えるわけにはいかないのです。
では、「対象である」という回答には問題があったのでしょうか。今回の訴訟の対象である「DVDレコーダー」の場合、著作権法施行令第1条2項3号では次のように規定されています。
三 光学的方法により、特定の標本化周波数でアナログデジタル変換が行われた影像又はいずれの標本化周波数によるものであるかを問わずアナログデジタル変換が行われた影像を、直径が百二十ミリメートルの光ディスク(レーザー光が照射される面から記録層までの距離が〇・六ミリメートルのものに限る。)であつて次のいずれか一に該当するものに連続して固定する機能を有する機器
イ 記録層の渦巻状の溝がうねつておらず、かつ、連続していないもの
ロ 記録層の渦巻状の溝がうねつており、かつ、連続しているもの
ハ 記録層の渦巻状の溝がうねつており、かつ、連続していないもの
ここにおいて、「アナログデジタル変換が行われた影像」という記述を「その機器において変換が行われることを指している」と解釈する専門家の方がいます(この解釈をする専門家は、親指で数えられる程度しか見かけませんが)。その場合、(アナログ入力端子があることを別にすれば)アナログチューナー非搭載機は補償金の対象ではないことになります。しかし、文化庁がこの解釈を採用することができるでしょうか。日本の補償金の契機となったのは、DAT/DCC といったデジタル記録できるテープに対するものでしたが、第1条1項1号(DCC)には次のように規定されています。
一 回転ヘッド技術を用いた磁気的方法により、三十二キロヘルツ、四十四・一キロヘルツ又は四十八キロヘルツの標本化周波数(アナログ信号をデジタル信号に変換する一秒当たりの回数をいう。以下この条において同じ。)でアナログデジタル変換(アナログ信号をデジタル信号に変換することをいう。以下この条において同じ。)が行われた音を幅が三・八一ミリメートルの磁気テープに固定する機能を有する機器
ここでも「アナログデジタル変換が行われた音」という記述があります。補償金が制定された当時の経緯を振り返ると、CDやDAT/DCCのようなデジタルメディアが普及し、アナログ複製のような“劣化”がなくなると、オリジナル品質の商品が売れなくなるということが懸念されていました。当時、すでにレンタルレコードから派生したレンタルCD業があり、アナログレコードのように“劣化”しないものを、レンタルCDからの私的複製によって入手できるという状況も背景にありました。
ここでもし、「アナログデジタル変換が行われた音」という記述に「その機器において」という意味を含めているのだとしたら、「CD→DAT」や「CD→DCC」あるいはその後に登場した「CD→MD」のダビングにおいては変換がないか、デジタル/デジタル変換しか行われないので、補償金の対象として考えないためにこの記述を追加したことになります。補償金の背景を考えた場合に、このような想定をすることは現実的なものだとは思えません。したがって、「アナログデジタル変換が行われた」という記述は、機器において行われたかどうかに関係なく、どこかの段階で変換されたもの(たんに標本化周波数の説明をしているだけ)と考えることができ、それによればデジタルチューナー非搭載機もまた補償金の対象となることになります。したがって、文化庁が「対象機器である」と回答したことには何ら問題はないのです。
もちろん、文化庁の解釈が正しいとは限りません。たとえば、映画の保護期間においては、文化庁が採用していた“接着理論”(※)が最高裁で否定されました。同じように、「対象機器である」とした文化庁の解釈が“裁判で”否定される可能性はあります。しかし、行政の判断が、司法により覆されたからといって文化庁が「法律の世界の秩序を無視」していたと言うことはできません。これは、まさに三権分立が機能しているというだけのことです。
※12月31日は1月1日と接着しているので、2004年1月1日に施行された保護期間を延長する法改正は、旧法では2003年12月31日で保護期間が終了する映画にも適用される、とするもの。
さて、長々と「問題のない」話を書いてきましたが、補償金制度に何の問題もないわけではありません。それどころか、大きな問題があります。しばしば指摘されているのは、対象機器の製造者に課せられているのは「補償金の徴収協力義務」であり、その協力内容について具体的な規定がないということです。補償金は最終的に消費者が払うもので、メーカーはその徴収を協力する義務があるとされています。通常、メーカーは補償金を製品価格に反映させて、総額を権利団体に支払う代わりに、補償金の請求書を製品に添付するという提案もありましたが、それによってメーカーは「協力義務を果たしている」と主張することはできるかもしれません。ただ、主要メーカーがそれをすることは考えにくいとも思います。メーカーは、必ずしも「法律に明記された範囲」で自由にモノづくりをしているわけではなく、コピーワンスにしろ、ダビング10にしろ「業界の合意」に沿って著作権者と協力する関係にあるからです(合意に沿わないフリーオみたいなものも存在しますが)。
もうひとつ大きな問題だと思うのが、そもそも消費者が支払っている(ことになっている)補償金と、管理協会が受け取っている補償金の額が違う卸価格に補償金が追加されるということは、小売価格にはそれ以上の影響が出るのではないか、いうことです。消費者が支払っているという“消費税”を例にとると、私たちは商品を購入する際に、いくらの消費税を払ったのかをレシートなどで確認することができます。しかし、録画メディアや機器を購入するときに、私的録画補償金がいくらであるかを確認することはできません。そもそも私的録画補償金の場合、その額は「メディア・機器の基準価格(カタログ価格の50~65%)の1%」であると定められているのですが、なぜ0.5%とか0.65%と書かないのでしょうか。これは、メーカーからの卸価格がカタログ価格の50%とか65%ということを想定し、その卸価格に対して1%の補償金を課しているということではないのでしょうか。
メーカーが徴収した(ことになっている)補償金は、単純に卸価格に転嫁されているだけで、流通経路において、その価格に“流通の取り分”が上乗せされていくわけですが、その段階で補償金の額だけが別会計であるとは思えません。つまり、最終的に商品を購入する時点で、我々はメーカーが徴収した額よりも多い額を補償金として支払っている、ことになります。消費税の場合は中間業者も、自分の利益に対する消費税を納めなければなりません。しかし、補償金においてはそのような制度はありません。消費税において、中間業者の売上額が消費税の納税義務額以下だと“益税”が生じるという問題が指摘されることがあります。補償金においては、すべての中間業者が“益補償金”を受け取っているということになるわけです。
※実際には、メーカーが主張する通り、補償金は消費者ではなくメーカーが支払っているようなものなのですから、その意味ではメーカーの“原価”として計上できるよう制度を改めればよい話ではあります。
※上記については、やや表現が過ぎました。コメント欄をご参照ください。
以前にも書きましたが、私的録音録画補償金制度による収入は、それらが対象とするコンテンツビジネス規模に比べればはるかに小さな額でしかありません。補償金は、実演家にとっては意味のある収入になっているとも聞きますが、本来であれば補償しなければならない“損失”は、企業や実演家といった属性によって偏りなく平等であると考えるべきものではないでしょうか。今回の訴訟が、私的録画補償金を管理する SARVH が起こしたものであるにも関わらず、その記者会見を行ったのは Culture First という団体であり、テレビ局の代表者はいませんでした。テレビ局は、そのビジネス規模に比べてはるかにわずかしか分配されない録画補償金のことなど重視していないのではないでしょうか。
さらに補足すると、エイベックス取締役でもある岸博幸氏は、「本質からかけ離れた地デジ録画機「補償金」騒動」という記事において、「違法コピーや違法ダウンロードの激増、コンテンツ供給量の増大などをもたらし…権利者が所得低下という形でこの社会的コストを負担…補償金はこの社会的コストを埋める役割をある程度果たしていたと評価できる」と、あたかも違法コピー制度による損失を補償金制度が埋めてきたと受け取れるような発言をされています。そうならば「ダビング10」のように違法と言えるほどの複製を抑止した技術が採用されていれば補償金は不要である、という主張に理由付けしてしまっているようにも見えます。しかし、補償金は、あくまで適法な私的複製に対して課せられるものなのに。
このような“無理のある設計”がなされた補償金制度は、抜本的に見直す必要があります。今回の件が訴訟に至ったことは残念ですが、権利者、メーカー、そして消費者を巻き込んだ実りある議論に発展するきっかけになることを願います。