就職氷河期の再来、中途採用の促進、21世紀の移民、雑感
1990年前半はバブル崩壊後の「就職氷河期」が流行語大賞を取った時期だった。今年の卒業生は内定取消が続出したり、卒業間近にしてまだ就職先が決まっていないなど、近年にも増して就職難になりそう。
先日、まだ就職が決まっていない高校卒業生と就職指導教官をルポした番組を見て心が痛んだ。日本は、まだ終身雇用制が残っているし、「新卒採用」でないと、一生その影響が残ってしまうというハンデがある。
大学生なら留年して翌年の新卒採用を目指すという手もあるけれど、高校生だとそういうわけにも行かない。彼らはどうするのかしら?
アメリカでも新卒採用はあるけれど、大抵の求人広告が実務経験有りを条件にしている。新卒で実務経験を持っているためには学生時代にインターンなどをして、希望企業に実績を作っておく必要があるということ。アメリカの良いところは、中途採用に対するハンデと偏見が日本よりも少ないこと。転職は当たり前だし、場合によっては、歴戦の結果が実績とみなされることも少なくない。最近の日本もかなり転職や中途採用が増えてきてはいるけれど、まだ「新卒採用」の折り紙が闊歩している。
失業や就職難が続く近年、実力評価と中途採用がもっと見直されて欲しい。
それとともに高校新卒採用の機会を逃してしまった若者は、何か新しい道を自力で切り開いて欲しいと思う。
彼らはまだ18歳。自分の人生を決めてしまうには、世の中を知らな過ぎるし、自分自身の力量も興味関心もまだ把握しきれていないはず。欧米ではこの時期、自分を見つけるための長期の旅に出る若者も少なくない。国内や世界を放浪し、あらためて学校へ戻ったり、就職したりするのである。
そこまでできないとしても、まだ親のスネがかじれる年齢の若者は、その特権を利用して専門学校へ行ったり、どこかへ丁稚奉公へ行くのも悪くないと思う。手に職をつけるのである。「資格」なぞではなく、真の意味のスキル。
たまたま今朝見ていたTV番組はStreet Custom。様々な注文に応じてカスタムカーを手作りするWest Coast Customというショップ(自動車整備工場+手作り工場)のストーリー。廃車を解体して、パーツを作り、ボディーを作り、エンジンやトランスミッションまで作ってしまう。内装も手作り。もちろんデザイン担当者や板金、溶接、などそれぞれの担当がいるチーム構成。外見は落ちこぼれ風(失礼!)だけれど、その道では超一流の腕前の若者ばかりで、圧倒された。大学に進学してホワイトカラーを目指すだけが人生ではないと思い知らされる。
日本も同じだとは思うけれど、アメリカは自営業が多い。配管工事とか、ペンキ屋とか、電気工事とか、会計士とか、通訳とか、庭掃除とか、その職種は多岐に渡る。就職できるあてがなければ、どんどん自分で仕事を始めるのである。免許や資格が必要な職業もあるけれど、庭の落ち葉を拾って集める仕事や、ハウスクリーナーと言われる掃除婦、犬の散歩係りなど、いつでも誰でも「起業」できる仕事もある。アルバイトの延長が本業になったりもするのだ。
21世紀の日本人は職を求めて移民するだろうか?
明治維新直後の最初のハワイ移住の試み、ブラジル、ボリビア等の中南米への移民の歴史は100年を超えた。日本が貧しく食べて行かれなかった時代は、言葉の壁や航海の危険を乗り越えて移民していった。(その苦労は計り知れない。)もし日本が本当に就職難で、本当に食べるのにも困るような状況に直面したら、自殺を図る代わりに死んだ気になって移民を試みる人達が出てくるのだろうか。100年前は大使館も領事館もなかったけれど、もし今、移民する人が出てきたら現地の日本大使館はどのような援助をするのだろう。
イギリスへ行った時はヨーロッパからの移民が少なくないのに気が付いた。アメリカは世界各地から移民が集まってくる。彼らは「国際化」とか「海外進出」などというかっこいいことを夢見て渡米したわけではないことの方が多い。仕事のあてがあって移民してきたわけでもない。3Kと言われる仕事を2つも3つも掛け持ちしてかろうじて食いつないでいる。それでもサバイバルしている。
高校を卒業したのに、就職できなかった人達は本当に気の毒だと思うけれど、その不運を逆手にとって、若い時(親の扶養家族でいられる時)でなければできないことをいろいろと試してみたらよいと思う。文句を言ったり、愚痴をこぼしたりしている間は、まだ切羽詰まっていないということか。