舛添要一さんが私に語った公約
私がLotusのマーケティング本部に転職した翌年、Notesコンソーシアム会員向けの講演を舛添 要一さんにお願いしたことがあり、講演前に待合室で二人で1時間近く会話をしたことがある。 そのとき、彼は、東京都知事選に出馬して敗れた直後だった記憶している。
彼は、朝までテレビなどで痛烈に政治批判することで有名だったが、同時にテレビでコンピューター産業、特にインターネットに関するコメンテーター(当時は評論家と呼んだ)として登場することも多く、適任だと感じて依頼した。
グループウエアとは何なのか、インターネットが企業に与える影響が何なのか、LotusはIT業界にどのようなインパクトを与えていて、どこに行こうとしているか?など、質問攻めにあった。 話し出すと早口で止まらない人だが、質問も機関銃のようだった。 また、質問が脈略無く、質問の意図が掴みにくいとも感じた。
講演の15分前になり、話して欲しいポイントや参加者のプロファイル、興味分野などを説明しようとしたが、まったく聞く耳を持たず、ひたすら、自分の興味分野の質問と、私の意見に対する自論を展開して止まらなかった。
「5分前ですので、会場までお願いします」と進行の方から言われてやっと話が終わった。 講演に関するポイントを説明できないままである。
その直後、彼は立ち上がりざま言った。
「吉田さんは、Notesで日本企業を再生しようと考えているんですね。 インターネットが政治と地方、老人福祉を変える可能性があることがわかりました。 私は政治と福祉を変えて見せますよ」
そして、今、彼は厚生労働省の大臣として、安倍総理辞任の後、さらに活発な活動を行える環境となった。
「盗っ人と呼ばれた人、手を挙げて」や「舛添要一が頼もしく見えてしまう・・・」で、く舛添さんを応援されている。
ぜひ、あの7年前の公約を守っていただき、インターネットで政治と地方、そして老人福祉を変えてもらおうではないか。
大いに期待したい。
<後記>
このセミナーでの公演内容は、各政治家の性格や当時の政権批判となった。 非常に難しい話が多かったため、うちのスタッフに、「IT関連の話をお願いします」とA3の紙に書かせて桝添さんから見える位置に立たせたが話は変らず、受付に置いた舛添さん著書の「上手な話し方(だったかな?)」が泣いていた。
私はというとDominoR5を全面に出して「ノーツがもう一度日本を救う会」を、リコーさん、日立ソフトさんなどのエバンジェリストと共に立ち上げ、セミナーによる巡業やマーケティングアクションを行ったがが、発起人の私が半年後に移動になり断ち切れとなった。
彼がやるなら、私ももう一度やるかな。
#「舛添」さんを「桝添」と書いてありましたので修正しました。 13thSept2007