「掛け算には順序がある」・・・なんて、ご冗談でしょう?(1)
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こんにちは、文書化能力向上コンサルタントの開米瑞浩です。(→連載:説明書を書く悩み解決相談室 もよろしく(^_^)/)
数ヶ月前に一部で話題になっているのを横目で見ていて気になっていたことなんですが、現在、小学校の算数教育で「掛け算の順序問題」という議論があるそうです。
「4人に3個ずつミカンを配るとき、ミカンは何個必要?」
という問題の答えを計算するとき、
4×3 という立式は間違いで、
3×4 という式が正しい
という指導をするのが、「掛け算には順序がある」派の指導法だそうで。
私は最初この話を聞いたとき、「何が何だか わからない・・・」と、思わずつぶやいてしまいました。だってどっちも同じじゃないですか。何考えてんのこういう先生? と。
(参考までに同意見の関連ブログいくつか紹介)
(1)6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性
(2)「掛け算の順序」概略その1 方便から迷信までの進化(?)の過程
(3)掛け算の順序問題について (菊地誠先生)
(4)かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである(黒木玄先生)
(↑数学者の黒木玄先生の(4)は非常に詳細でいちいち細部まで納得が行きます)
その後、気を取り直して、どういう意図でそんな指導をするのか? という、教師側の意図を調べてみました。その結果は、概略こういうことではないかと思われます。
A:「条件反射的解法」 問題
掛け算を学ぶとき、意味を理解せずに出題中に出てきた数字をそのまま並べて式を作る子がいる。
B:「単位の間違い」 現象
そういう子は、単位を間違えて答えることが多い。たとえば、「4人に3個ずつミカンを配るとき、ミカンはいくつ必要?」という問に 4×3=12「人」と答えてしまうとか。掛け算の意味を理解せずに条件反射的に式を立てると、こういう間違いをしやすいのは当然ですね。
C:「単位当たり量」 概念
そこで、掛け算をするときに、単位当たり量を意識するようにさせたい。
「4人に3個ずつミカンを配る」というのは、
1人あたり3個 を 4人 ということだ。
そこで 3 (個/人)×4 (人) と、単位あたり量を先に書くように統一してはどうだろうか。
D:「単位のサンドイッチ」 ルールで教えてみよう
「単位あたり量 × その単位のものがいくつあるか(乗数)」という順序で掛け算を書くように統一ルール化すれば、
3(個/人)×4(人)=12個
6(本/人)×8(人)=48本
のように、「最初の数字についていた単位が、答えの数字にも出てくる」というパターンを作れる。そうすれば「単位のサンドイッチを作ればいいんだよ」と教えられる。
これなら子供も覚えやすいよね?
(ちなみに、実際に小学生に教えるときは 「個/人」のような割り算形式の単位表記ではなく、 3個×4=12個 あるいは 3個×4人=12個 のように書きます)
E:「内包量・外延量」概念へ
「単位あたり量 × その単位のものがいくつあるか(乗数)」 というこの2つの概念ですが、歴史的にいくつか違う呼び方があります。
以下はあくまでも私が個人的に感じた印象ですが、小学生へ掛け算を教えるためのよい指導法を求めて「単位あたり量×乗数」への統一を着想した遠山啓が、それに理論的裏付けを与えるために「内包量」「外延量」という概念を導入したのではないか? という感触です。ちなみに内包と外延という用語は集合を定義するための2つの方法として数学の世界では基本的な概念ですが、「内包量」「外延量」という概念はそれとは意味が違います。かつ、遠山らを起源とする日本の算数教育の世界以外ではほとんど使われていない(→ 内包量と外延量 wikiソースですいません) ようです。
まあ、意味が違うとは言ってもおそらく集合の「内包」「外延」のアナロジーで「内包量」「外延量」という用語を作ったのではないでしょうか。しかし、小学生に「内包量とは」なんて言うわけにもいかないので、小学校ではそれを「かけられる数」「かける数」として教えるようになった・・・という可能性がありそうです。(あくまでも私個人の未検証仮説ですが)
さて、もう一度、要約して並べますと、
A:「条件反射的解法」で解いちゃう子供がいる
B:そういう子は「単位の間違い」をすることで発見できる
C:だったら「単位当たり量」を意識させればいいんじゃないか
D:あ、「単位のサンドイッチ」でルール化すると良さそうだ
E:よし、「内包量(かけられる数)・外延量(かける数)」を区別するよう指導しよう
(↑この流れ自体は私の思いつきであり、正しいとは限りませんが、・・・・と言い訳をしつつ)
もしこういう流れで現在の「掛け算には順序がある」指導に至っているとしたら・・・・私はちょっと異義を唱えたいですね。
この件の「問題の本質」は A:条件反射的解法 です。
これが問題の本質であって、
Bは「その罠にハマっている子を見つけ出すための便法」だし、
Cは「単位に注意を向けることをきっかけにして掛け算の本質に気づいて欲しい」という、こう言っちゃなんですが対症療法的解決策です。
DとEはCを実際に小学校で運用するための器用なテクニックにあたるもの。
いずれにしても、Aの問題自体を解決しているわけじゃありません。
ちなみに、先に紹介した外部ブログ(1)の中にこんなシーンがあります。
これは何が起きているかというと、文中にもあるとおりこの子は「「ずつ」があるほうを先に書く」と覚えているわけで、要は「A:条件反射的解法」をやっちゃっているわけですよ。
そもそもそういう「理解してないのにパターンで反応するから答えを出せちゃう」問題を解決するために「掛け算には順序がある」指導をしていたはずなのに、またそこで同じ「条件反射的解法」に陥らせてどうすんですか、という話。
これ、私に言わせれば当然です。
DやEの部分は数の本質とは関係ない単なる「教える側が便宜上使うテクニック」のひとつ。
こういうテクニックこそ、最も「A:条件反射的解法」をされやすいものなので、「ずつ、が入ってないからどっちが先か分かんない」と子供が答えるのは当たり前だと思いますね。
そんなわけで私は「とにかくA:条件反射的解法」にならないように、掛け算の意味をきちんと理解させることに力を注ぐべき。と考えます。
じゃあどうすればいいのか、が次なる問題。 理想を言うと、
1.「掛け算の意味」がきちんとわかる
2.その理解が a × b = b × a という実数の乗法の交換法則に自然につながる
3.さらに、除法では交換法則が成り立たないことも自然にわかる
・・・という3条件をクリアするような、そんな教え方が欲しいところなんですが。
うーん、どうしましょう?
(続く・・・・かもしれない(^^ゞ
(なお、「実数」のところはなにしろ小学生相手ですから「自然数」でも十分です)
数ヶ月前に一部で話題になっているのを横目で見ていて気になっていたことなんですが、現在、小学校の算数教育で「掛け算の順序問題」という議論があるそうです。
「4人に3個ずつミカンを配るとき、ミカンは何個必要?」
という問題の答えを計算するとき、
4×3 という立式は間違いで、
3×4 という式が正しい
という指導をするのが、「掛け算には順序がある」派の指導法だそうで。
私は最初この話を聞いたとき、「何が何だか わからない・・・」と、思わずつぶやいてしまいました。だってどっちも同じじゃないですか。何考えてんのこういう先生? と。
(参考までに同意見の関連ブログいくつか紹介)
(1)6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性
(2)「掛け算の順序」概略その1 方便から迷信までの進化(?)の過程
(3)掛け算の順序問題について (菊地誠先生)
(4)かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである(黒木玄先生)
(↑数学者の黒木玄先生の(4)は非常に詳細でいちいち細部まで納得が行きます)
その後、気を取り直して、どういう意図でそんな指導をするのか? という、教師側の意図を調べてみました。その結果は、概略こういうことではないかと思われます。
A:「条件反射的解法」 問題
掛け算を学ぶとき、意味を理解せずに出題中に出てきた数字をそのまま並べて式を作る子がいる。
B:「単位の間違い」 現象
そういう子は、単位を間違えて答えることが多い。たとえば、「4人に3個ずつミカンを配るとき、ミカンはいくつ必要?」という問に 4×3=12「人」と答えてしまうとか。掛け算の意味を理解せずに条件反射的に式を立てると、こういう間違いをしやすいのは当然ですね。
C:「単位当たり量」 概念
そこで、掛け算をするときに、単位当たり量を意識するようにさせたい。
「4人に3個ずつミカンを配る」というのは、
1人あたり3個 を 4人 ということだ。
そこで 3 (個/人)×4 (人) と、単位あたり量を先に書くように統一してはどうだろうか。
D:「単位のサンドイッチ」 ルールで教えてみよう
「単位あたり量 × その単位のものがいくつあるか(乗数)」という順序で掛け算を書くように統一ルール化すれば、
3(個/人)×4(人)=12個
6(本/人)×8(人)=48本
のように、「最初の数字についていた単位が、答えの数字にも出てくる」というパターンを作れる。そうすれば「単位のサンドイッチを作ればいいんだよ」と教えられる。
これなら子供も覚えやすいよね?
(ちなみに、実際に小学生に教えるときは 「個/人」のような割り算形式の単位表記ではなく、 3個×4=12個 あるいは 3個×4人=12個 のように書きます)
E:「内包量・外延量」概念へ
「単位あたり量 × その単位のものがいくつあるか(乗数)」 というこの2つの概念ですが、歴史的にいくつか違う呼び方があります。
以下はあくまでも私が個人的に感じた印象ですが、小学生へ掛け算を教えるためのよい指導法を求めて「単位あたり量×乗数」への統一を着想した遠山啓が、それに理論的裏付けを与えるために「内包量」「外延量」という概念を導入したのではないか? という感触です。ちなみに内包と外延という用語は集合を定義するための2つの方法として数学の世界では基本的な概念ですが、「内包量」「外延量」という概念はそれとは意味が違います。かつ、遠山らを起源とする日本の算数教育の世界以外ではほとんど使われていない(→ 内包量と外延量 wikiソースですいません) ようです。
まあ、意味が違うとは言ってもおそらく集合の「内包」「外延」のアナロジーで「内包量」「外延量」という用語を作ったのではないでしょうか。しかし、小学生に「内包量とは」なんて言うわけにもいかないので、小学校ではそれを「かけられる数」「かける数」として教えるようになった・・・という可能性がありそうです。(あくまでも私個人の未検証仮説ですが)
さて、もう一度、要約して並べますと、
A:「条件反射的解法」で解いちゃう子供がいる
B:そういう子は「単位の間違い」をすることで発見できる
C:だったら「単位当たり量」を意識させればいいんじゃないか
D:あ、「単位のサンドイッチ」でルール化すると良さそうだ
E:よし、「内包量(かけられる数)・外延量(かける数)」を区別するよう指導しよう
(↑この流れ自体は私の思いつきであり、正しいとは限りませんが、・・・・と言い訳をしつつ)
もしこういう流れで現在の「掛け算には順序がある」指導に至っているとしたら・・・・私はちょっと異義を唱えたいですね。
この件の「問題の本質」は A:条件反射的解法 です。
「数字が2つ出てきたらとにかく ○×□ と並べればいい」と条件反射的に式を立てるだけで、掛け算の意味が分かっていない子がいる
これが問題の本質であって、
Bは「その罠にハマっている子を見つけ出すための便法」だし、
Cは「単位に注意を向けることをきっかけにして掛け算の本質に気づいて欲しい」という、こう言っちゃなんですが対症療法的解決策です。
DとEはCを実際に小学校で運用するための器用なテクニックにあたるもの。
いずれにしても、Aの問題自体を解決しているわけじゃありません。
ちなみに、先に紹介した外部ブログ(1)の中にこんなシーンがあります。
「じゃあ・・ウサギには2本の耳がある。ウサギは4羽いる。耳は全部で何本?」
「ずつ、が入ってないからどっちが先か分かんない。答えは8本だけど」
「じゃあ・・ウサギには2本ずつ耳がある、だったら?」
「それなら、2×4=8本」
「ずつ」がある方を先に書く、と覚えている訳です。
うーむ、教育上じつによろしくない状況ですな。
これは何が起きているかというと、文中にもあるとおりこの子は「「ずつ」があるほうを先に書く」と覚えているわけで、要は「A:条件反射的解法」をやっちゃっているわけですよ。
そもそもそういう「理解してないのにパターンで反応するから答えを出せちゃう」問題を解決するために「掛け算には順序がある」指導をしていたはずなのに、またそこで同じ「条件反射的解法」に陥らせてどうすんですか、という話。
これ、私に言わせれば当然です。
DやEの部分は数の本質とは関係ない単なる「教える側が便宜上使うテクニック」のひとつ。
こういうテクニックこそ、最も「A:条件反射的解法」をされやすいものなので、「ずつ、が入ってないからどっちが先か分かんない」と子供が答えるのは当たり前だと思いますね。
そんなわけで私は「とにかくA:条件反射的解法」にならないように、掛け算の意味をきちんと理解させることに力を注ぐべき。と考えます。
じゃあどうすればいいのか、が次なる問題。 理想を言うと、
1.「掛け算の意味」がきちんとわかる
2.その理解が a × b = b × a という実数の乗法の交換法則に自然につながる
3.さらに、除法では交換法則が成り立たないことも自然にわかる
・・・という3条件をクリアするような、そんな教え方が欲しいところなんですが。
うーん、どうしましょう?
(続く・・・・かもしれない(^^ゞ
(なお、「実数」のところはなにしろ小学生相手ですから「自然数」でも十分です)
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