原子力論考(124)命を守るためにこそ原子力エネルギーが必要
ドキュメント・コンサルタントの開米です。
先日大阪に行く用があって、関西の地図をなんとなく眺めていたところ、不思議なことに気がつきました。
↓これは藤井寺から今池方面の地図。(Google Map から引用。クリックで大きな画像が開きます)
妙に溜池が多いなあ・・・と思ったわけです。
↓ちなみにこれが私の住んでいる相模原市の同縮尺の地図。(Google Map から引用。クリックで大きな画像が開きます)
溜池はまったくありません。
不思議に思ってtwitterに書いていたところ、「溜池の多さでは播磨が日本一です」と教えてくれた人がいました。確かにその通りでした。
↓播磨方面の地図 (Google Map から引用)
そういえば、播磨の他に香川県も溜池が多い、と聞いたことがありました。雨が少ないので、渇水に備えて溜池が多く作られた、といった話だった気がします。
こういう事例を見てあらためて思うのは、「インフラは地域の特性に合わせて作らなければならない」ということです。
日本は人口密度が高く、平地が少なく、エネルギー資源の少ない国です。
国土が平坦で風力発電を開発しやすいデンマークとも、
国内に豊富な化石燃料資源を擁するアメリカや中東産油国とも、
豊富な水力発電資源を擁するブラジルとも、
人口密度が低いために地熱発電に多くを依存できるアイスランドとも事情が違います。
人口密度が高く平地が少ない、というのは自然エネルギーを導入しようとする上で非常に困難なポイントで、自然エネルギーというのはどうしても面積あたりのエネルギー密度が低いので、風力、太陽光、水力のいずれにしても日本のエネルギーをまかなう主力としては期待しづらいわけです。
人間は、個人単位であれば生まれた国を捨てて他国で生きることも可能ですが、国全体で他国に移住することはできません。その国が置かれた地理的・政治的・軍事的な諸事情を踏まえて「国家としての生き延びる道」を探っていく必要があります。
そして、エネルギーの確保というのは国のすべての経済活動の生命線です。原子力論考(1)でも書いたことですが、日本が前世紀に無謀な戦争に突入した最大の理由は石油の禁輸という「エネルギーの途絶」でした。
エネルギーが調達できなくなると、すべての経済活動が止まります。
車も電車も走れなくなり、農業生産も止まり、食料の輸入も出来なくなります。
江戸時代まで生活水準を落とすと、間違いなく日本人の7割は死ぬでしょう。
だからこそ日本には原子力エネルギーが必要なのです。
命を守るためにこそ、原子力が必要である、ということを、私たちは今一度考えるべきなのではないでしょうか?
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