「ITベンダーやシステム・インテグレーターからユーザー企業への転職需要はかつてないほど増えています。」
人材紹介を手がける方からそんな話を聞いた。しかし、売り手市場だからといって、全てがうまくいくわけではないという。
「優秀な若手のエンジニアであれば、ユーザー企業も積極的に受け入れてくれますが、デジタル戦略を担わせたい幹部候補やCIO候補となると、うまくマッチングできないケースが少なくありません。」
対象となるのは、40〜50歳代のベテランということになるのだろう。彼らに期待されているのは、テクノロジーを経営や事業に結びつける戦略策定と実践のイニシアティブだ。その需要に応えられないというのだ。
大きな看板を背負い、修羅場をくぐり、難しいプロジェクトをこなしてきたという輝かしい実績はある。しかし、その多くは、依頼された仕事を確実にこなすことであり、自らが企画や戦略を立案し推進したわけではない。
そんな彼らが経営者との面接で、自社のデジタル戦略についての提言を求められても、まともに答えられない人が少なくないという。転職がうまくいかなかったある40代の男性は、「もっと若い頃から経営や業務について、学んでくるべきだった」とため息交じりに語っていたが、なんとも切ない思いがする。
また、テクノロジーを知らない人が多いという。コンテナやマイクロサービス、アジャイル開発やDevOpsといった、ユーザー企業が求めている常識を理解していないというのだ。
既存のレガシーな基幹業務を刷新し、自社の次代を担う情報システムを作り変えることを期待されている。それにもかかわらず、過去の経験や実績だけを自分の「転職バリュー」だと勘違いしているとすれば、ミスマッチが起こるのも当然のことだろう。
何も過去の経験や実績に価値がないとは思わない。しかし、そんな体験から経験を学ばず、現実に疑問を持つこともないままに、テクノロジーの変化にも関心を向けず、新たな学びを怠っていたのだとすれば、この現実を受け入れるしかない。
レガシーなシステムが、我が国におけるITの戦略的な活用の足かせとなっていることを、ユーザー企業の経営者も気づきはじめている。だから、いまの常識に精通した人材を採用し、内製化をすすめたいと考えている。それが、冒頭に紹介した「転職需要」というわけだ。
しかし、テクノロジーの進化は急激で、3年前の常識はもはや通用しない時代に、会社の文脈に依存した過去の経験と実績だけに頼り、自己投資を怠ってきた人材に需要がないのは、仕方がない。
コロナ禍をきっかけにクラウドが本格的に浸透し、ユーザー企業が内製化に、本腰を入れ始めた。工数に頼る既存のSIビジネスが、厳しくなるのは当然だ。この現実を知らないわけではないだろうが、「まだしばらくは何とかなる」と踏ん切りがつかず、ビジネスモデルを転換することを先送りしている企業では、優秀な人材ほど早く自社に見切りを付け、離職していっているようだ。
この現実に対処するには、事業モデルや収益構造の抜本的な改革が求められる。売り物も工数から技術力にシフトしなくてはいけない。転職するにしろ、自社の改革に関わってゆくにせよ、過去の経験や実績に頼った常識の延長線上では対処できない。これまでのやり方を根本的に変える覚悟と実践なくして、転職しようにもできないし、会社でも役に立たない。厳しい現実ではあるが、どこにあってもお荷物になるだけだ。
優秀な若い人材が会社から離れてゆくのは、彼らが、そういう過去の価値観を引きずり、まっとうな対策を打てない経営者や年長者を「うざい」と思うからだろう。そういう会社にいることが自分の将来にとって、大きなリスクであることを、高い感性で感じ取るからでもある。しかも、そういう人たちが、年功序列で給与があがっていた時代の人たちであり、それもまた社会的公正に敏感な世代の彼らには「うざい」と感じているのではなかろうか。
テクノロジーの急速な進化は、社会が求める価値を変化させている。そして、会社から与えられる学びに頼るだけの生き方を、生きづらいものに変えてしまった。そんな時代に、会社での価値ではなく、どこに行っても通用する社会的価値の厚みを増すことが、人生の大きな財産になる。
「まだ何とかなる」との期待が、どれほど浅はかなことであるかは、もはや言うまでもないだろう。