「今日の仕事は、楽しみですか」は成長のサイクルの入口を見つける自分への問いかけ
「今日の仕事は、楽しみですか」
先日、品川駅で掲載されたデジタル広告に批判が殺到した。「仕事は楽しみじゃなきゃいけないのか」、「つらくてもなんとか仕事を頑張っている人を傷つける言葉だ」などの反発が起こり、広告は直ちに中止され、公式サイトに謝罪文を掲載する事態になった。
仕事が成長の喜びとなっていない人たちが、少なからずいることを、改めて、気付かされることとなった。なんとも悲しい現実ではないか。
もちろん、楽しい仕事ばかりではない。生きるために、楽しいしことではなくても、耐えてこらえて働かなくちゃいけないこともある。ただ、そういう仕事に楽しさを見つけることができたなら、それは救いであるし、喜びや生きがいに変わるかもしれない。あるいは、このままではいけないとの想いから転職することで、仕事を楽しみに変えられるかも知れない。
私事ではあるが、新入社員の頃、先輩から面倒な仕事をやらされ、オレはこんな仕事をするために、この会社に入ったわけではないと、腐っていた(当時は心からそう思っていた)。
自分のやりたいことはやらせてもらえず、全て先輩の言うとおりにやらされていた。しかも仕事の量はハンパなく、終電前に帰ることはない。しかも、新人でもあるから、翌朝は定刻前には出勤しなくてはならない。先輩は、毎日昼前の出社だった。身体もボロボロだった。
毎日がつまらないし、金曜日が待ち遠しかった。そして、日曜日の夜になると、明日また仕事か、と胃が痛くなった。入社からの3年間は、そんな毎日だった。
3年目のある日、先輩がお客様を連れて、2週間の海外出張に出ることになった。そんな折、お客様から、小さな案件ではあったが、ある製品の導入について、相談を頂いた。普段なら先輩がお客様と交渉し、私はその事務処理をするのだが、その先輩がいないので、私が全てを仕切ることになった。IBM3705通信制御装置の回線アダプターで、200万円程度の案件であったと記憶している。当時、営業である私のノルマは、先輩と合わせて20億円くらいだったから、本当に些細な案件である。それでも、最初から最後まで、一人で全てこなさなくちゃいけない。そして、それをやり遂げた。
面白かった、そして、達成感があった。そして、何かが吹っ切れた。そうか、こういう風にすすめればいいのかと、始めて自分の中に、バラバラだった営業という仕事のパーツが、ひとつの筋につながった。
それからは、もう毎日が楽しくなった。相変わらず、件の先輩の配下ではあったが、自分で考え、仕掛け、仕事の流れを作ることを全て、自分でやる機会が増えていった。仕事の進め方のストーリー、つまり要領がつかめたのだ。そして、大きな仕事も任せてもらえるようになり、営業という仕事は、自分の天職であると思えるほどになり、遅くなることも気にならず、徹夜や休日出勤も厭わず働いた。
楽しかった。営業として、自分が成長してゆくことを実感し、のめり込んでいた。先輩から独立しても、そんな勢いは止まらず、それなりの成績を自分で作れるようになったことも、ますます仕事を楽しいと感じさせてくれた。
そんな私が、いま、営業人材の育成に関わる仕事をしている。「先輩の出張」と「200万円の仕事」がなければ、いまの自分はなかったのかも知れない。
こういう経験を通じて、実感したのは、次のようなことだ。
楽しくなければ長続きしない。仕事を楽しめば成長できる。成長できれば、新たなチャンスが舞い込んで、また楽しくなる。
こんなサイクルを見つける努力を惜しまないことだろう。
「今日の仕事は、楽しみですか」
この言葉を自分で自分に、常に問いかけることは、いいことだと思う。先に示した、「成長のサイクル」の入口を早く見つけることだ。それは、誰かが与えてくれるものではない。自分でつかみ取るしかない。