「イノベーションのジレンマ」はひたひたと確実に
クレイトン・クリステンセンは、著書「イノベーションのジレンマ」の中で、企業の成長と衰退のメカニズムについて、次のように整理している。
イノベーションには次の2つがある。
- 持続的イノベーション:確立した市場での性能改良を追求する取り組み。
- 破壊的イノベーション:価格や大きさ、操作の難しさなどの制約があるために消費に向かわない潜在的な顧客層(無消費)を新たな市場として開拓する取り組み。
「破壊的イノベーション」により生みだされた製品は、初期段階では既存技術に比べてコストは安いが最初は性能が劣っているため既存顧客のニーズを満たすことができない。そのため、既に大きな市場規模を持つ既存市場に参入することができず既存技術の製品に比べて収益性が劣る。そのため既存技術で成功している企業は「破壊的イノベーション」の存在を知りつつも「持続的イノベーション」の追求を優先する。
イノベーションによる性能改善は、顧客ニーズの上昇よりも速いペースで進む。そのため「破壊的イノベーション」は、やがては既存市場のニーズも満たすようになっていく。
以上のような理由から、既存事業で成功した企業は新技術への対応に失敗することが多いと説明している。既存企業がこのジレンマから逃れる方法は、既存製品との競合を恐れず「破壊的イノベーション」を追求する組織を既存組織から分離独立させ、自由に新規事業に専心させることであるとも述べている。
SI事業者が直面している現実もまったく同じ状況にある。SI事業者が努力していないのではなく、既存事業の効率化やコスト削減のための必至の努力、すなわち「持続的イノベーション」への取り組みを優先しているということだ。しかし、「何パーセントの改善」ではなく「何倍、何十倍の改善」を実現できてしまう「破壊的イノベーション」の登場に太刀打ちできるはずはない。
既存事業がなくなることはない。それは「労働法制の制約」と「既存システム維持の必要性」があるからだ。
「労働法制の制約」とは、「社員を簡単に首切りできない」ということ。システムの開発を外注に任せるのは、開発のフェーズごとに人材需要が大きく変動するためだ。その人材を社員でまかなおうとすると必要の無い時期に多くの人材を抱えなくてはならない。そのため変動分の人材の調整弁として外注先を使うというやり方が定着してきた。米国は日本に比べ内製化率が圧倒的に高いわけだが、それは人材の流動性が高いことが背景にある。システム開発における需要変動は我が国と基本的には同じ。しかし、米国では必要な時に社員を採用し、需要がなくなれば解雇することが容易に行えるため、内製化比率を高めているに過ぎない。
我が国のこのような労働法制上の制約がなくなることは当面考えにくく、受託開発の需要がなくなることはないだろうと考えている。
「既存システム維持の必要性」については、既に膨大なシステム資産を抱えているわけのだから、それを維持・保守していかなければならない。ここにも一定の継続的需要が存在する。「労働法制の制約」もあって、外注に依存せざるを得ないユーザー企業も多いことを考えると、こちらもなくなることはない根拠となる。
ただ、運用やインフラ構築といった工数需要は急速に減ってゆくだろう。それは、クラウドが「顧客ニーズの上昇よりも速いペース」で機能、性能を高めている事実があるからだ。それらをどう使いこなしてゆくかといった高度な専門性を求められる需要については、これまで以上に必要性は高まるが、工数の絶対量が減少することは避けられない。
既存事業がなくなることはないとはいえ、その内容は今後大きく変わらざるを得ない。その理由は、アジャイル開発やDevOpsの普及だ。
これまでのウォーターフォール開発では、必要となる工数のピークと底では大きな開きがあった。そのため調整弁としての外注先を必要とした。しかし、アジャイル開発やDevOpsは継続的デリバリーを目指すため、一定規模のチームが、業務プロセス単位で開発・テスト・本番移行を継続的に繰り返すことになる。そのためピークと底が生まれにくく常に一定量の人材を必要とする。そうなれば、調整弁としての外注の必要は減少する。
今後、ITはビジネスと不可分な存在として、ますますその重要性を増してゆく。そうなれば、ビジネスとITのスピードを同期化させなければならない。このニーズに対応するためには、内製を前提としたアジャイル開発やDevOps、そしてクラウドへの取り組みが欠かせない。自ずと、外注需要も減少する。
企業経営におけるIT活用の成熟度により、ユーザー企業のこのような取り組みには緩急のばらつきが大きい。また、システムはコアではないから外注で対応するという企業も当然存在する。そういうところからの需要はなくなることはないにしても、クラウドとの競合は避けられない。
また開発や運用の生産性が劇的に改善される「破壊的イノベーション」が「持続的イノベーション」を遙かに上回るスピードで普及していくから、案件規模は小さくなっていく。
この現実を考えれば、クリステンセンが言うように「既存製品との競合を恐れず「破壊的イノベーション」を追求する組織を既存組織から独立分離させ、自由に新規事業に専心させること」をいち早く決断し、行動を起こすしかない。
クリステンセンは、このようにも言っています。
「成功した新規事業のほとんどは成功するまで資金が続いた事業である」
あたりまえのことだと思われるかもしれない。しかし、これこそがSI事業者のジレンマだ。新規事業は失敗の確率が高いから、試行錯誤を繰り返し、失敗を乗り越えるのに時間も資金もかかる。
それをSI事業者がなかなか許容できない。その理由は、利益率の低さにある。利益率が低いため稼働率を極限にまで高めなければ利益を確保できないため、新しいことができないジレンマを抱えている。よくある話しとして、"優秀な人材"に既存の業務をやらせながら、新しいことへの取り組みを兼務させていることだ。
経営や管理者に覚悟がないことの証拠だ。"優秀な人材"は、既存の業務で査定され評価される。新しい取り組みは、「放課後のクラブ活動」であり、楽しいかも知れないし、やり甲斐もあるだろうが、本業が忙しくなれば、当然そちらを優先するだろう。
また、「アジャイル開発」に取り組むチームに「仕様書通り」システムを作ることを求めたり、ウオーターフォールの品質管理ルールを適用したりする。つまり、世間の流行に乗っかって、かたちばかりまねすることに留まり、本質を理解し、貫こうとしてない。そんな取り組みがうまくいくはずはない。そして、うまくいかなければ、「うちには無理」と諦めてしまう。まさに、「成功するまで」徹底してやらない典型であろう。
DXもまた同じだ。うわべだけをかじり、本質を置き去りに、言葉をまき散らす。それで、DXに取り組んでいる気持ちになっている。それが、自分たちの事業を破壊することであるという理解も、覚悟もないままにだ。
やがて工数需要が大きく落ち込んだとき、すぐに置き換えうる事業がない。大変だとばかりに、その解を現場に求めても、もはや時間的・資金的余裕を与えることができないままに、成果を出すことは難しい
この状況を打開するためには、一時的に売上を落としてでも高い利益を確保できる仕事を増やし、人材をそちらに徐々にシフトさせることだ。しかも、中途半端にではなく、「徹底して」である。
いずれにしてもSI事業者のジレンマをどこかで断ち切らねばならない。それを先延ばしすればするほど、決断は難しいものになってゆく。