DXの胡散臭さの根源はどこにあるのか
いま私は、DXに胡散臭さを感じている。
DXに限った話しではないが、言葉は、その本質を離れて、文字や音が一人歩きすることがある。例えば、クラウド、AI、IoT、量子コンピューターなどだ。
そのどれにも共通するのは、「現状の否定」や「発想の転換」が織り込まれている場合が多い。例えば、クラウドについて言えば、「コンピュータは販売代金を支払い所有して使うもの」という現状を「コンピューターは必要な時にお金を払って借りるもの」というふうに、現状を否定し、発想の転換を促している。
しかし、それが実用に供し、むしろこちらが「現状」と言われるようになるまでには、相当の時間がかかる。再びクラウドの例に立ち返れば、WebメールのはしりであるHotmailが登場したのは1997年、SaaSが広く使われるさきがけとなったSalesforce.comは2000年、AWSの最初のサービスであるS3がリリースされたのは2006年である。
このような様々なサービスの登場が背景にあり、当時のGoogleのCEOであったエリックシュミットが、「クラウド・コンピューティング」という言葉を初めて使ったが2006年、それがきっかけとなってこの言葉が広く拡散され、各社各様の「クラウド・コンピューティング」の定義が使われるようになった。そして、この混乱を収束させることになった米NISTの「クラウドの定義」がリリースされたのは、2009年である。
いまや「クラウド・コンピューティング」は、前提と言われる時代になったわけだか、Hotmailを起点にすれば24年、Saleforce.comを起点にすれば21年、AWSやエリックシュミットの発言を起点にすれば19年という時間がかかっている。
その間、「クラウド・コンピューティング」という言葉は、その本質からかけ離れて、言葉だけが一人歩きした感がある。それは、その言葉に込められた本質的な価値や役割を追求することなく、表面的な「現状の否定」や「発想の転換」への驚きと称賛、あるいは不安と反発が、語られたからだ。
ほんの数年前まで、使ってもいない、体験もしていない人たちの妄想が作り出した驚きと称賛、不安と反発が、「クラウド・コンピューティング」に胡散臭さを醸し出していた。
そんな「クラウド・コンピューティング」の真価を見抜き、愚直に本質を貫いてきた人や企業があり、その価値を体現してきたわけだが、やっと多くの人がそのありがたさを実感しはじめたことから、かつてのような騒ぎはなくなってしまったということだろう。
DXの胡散臭さも、似たようなことかもしれない。この言葉が初めて使われるようになったのは、2004年、スウェーデン・ウメオ大学のエリック・ストルターマンの次の言葉であると言われている。
デジタル・トランスフォーメーションとは、デジタル技術(IT)の浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させること
The digital transformation can be understood as the changes that the digital technology causes or influences in all aspects of human life.
その後、この考え方をビジネスに適応させるかたちで使い始めたのが、調査会社やビジネス・スクールであった。
ガートナー/2014:
企業内のIT利用は三段階ある。
- 業務プロセスの変革
- ビジネスと企業、人を結び付けて統合する
- 人とモノと企業もしくはビジネスの結び付きが相互作用をもたらす
この第3段階の状態をデジタル・ビジネスと呼び、「仮想世界と物理的世界が融合され、モノのインターネット(IoT)を通じてプロセスや業界の動きを変革する新しいビジネス・デザインのこと。
IDC/2016:
企業が外部エコシステム(顧客、市場)の破壊的な変化に対応しつつ、内部エコシステム(組織、文化、従業員)の変革を牽引しながら、第3のプラットフォーム(クラウド、モビリティ、ビッグデータ/アナリティクス、ソーシャル技術)を利用して、新しい製品やサービス、新しいビジネス・モデルを通して、ネットとリアルの両面での顧客エクスペリエンスの変革を図ることで価値を創出し、競争上の優位性を確立すること。
IMD/2019:
- デジタル技術とデジタル・ビジネスモデルを用いて組織を変化させ、業績を改善すること
- 企業業績を改善することが目的であること
- デジタルを土台にした変革であることであり、一つ以上のデジタル技術が大きな影響を及ぼしていること
- プロセスや人、戦略など、組織の変化を伴うものであること
このような歴史的な経緯から、いまDXとは、概ね次のように解釈されている。
デジタル・テクノロジーの進展により産業構造や競争原理が変化し、これに対処できなければ、事業継続や企業存続が難しくなるとの警鈴を含む。従って、デジタル・テクノロジーの進展を前提に、競争環境 、ビジネス・モデル、組織や体制の再定義を行い、企業の文化や体質を変革することを意味する。
また、なぜこのような変革が可能になるかは、デジタルの本質的な特性を理解しなければならない。この点については、こちらで解説しているので、よろしければご覧頂きたい。
このような本質的な議論をどこかに置き去りにして、「AIで業務を効率化すること」や「デジタル技術を駆使して新規事業を立ち上げること」といった上滑りなことを言っている人たちが、まだまだ多いことが、胡散臭さの根源なのだろう。
まあ、「クラウド・コンピューティング」がそうであったように、これも時間の問題なのだろうと思う。その真価理解し、愚直に本質を貫いている人たちがいる。そういう人たちは、自分たちのやっていることを「DX」とは言わない人たちが多い。一方、本質を追求することなくカタチづくりに明け暮れている人たちは、自分たちのやっていることを「DX」だと言う人たちがそれなりにいるように思う。たぶん、それは、なかなか成果の出ない自分たちの取り組みをアピールし、正当化したいからであろう。
まあ、そういう取り組みも、やがては淘汰されるだろうし、本質と外れていることに気がつき、本来の意味でのDXに回帰することもあるわけで、何もそれが悪いと言いたいわけではない。
まさに、そんな過渡期であるからこそ、DXは胡散臭いと感じるのかも知れない。