DX崩壊 1/2
かつて、BPR (Business Process Re-engineering)という言葉がはやった時期がある。1990年初頭、米国の長期不況によって疲弊した企業経営を立て直すためには、組織のあり方を抜本的に変革することが必要とされていた。そんな1993年、マサチューセッツ工科大学教授のマイケル・ハマーと経営コンサルタントのジェイムス・チャンピーが著した『リエンジニアリング革命』が、その処方箋を示し、BPRとして提唱したことで、世界的に普及することになった。
同じ頃の日本は、バブル崩壊の只中にあり、BPRは大いに歓迎され、国や地方公共団体、民間企業が、組織改革の手法として注目した。しかし、我が国は、バブル崩壊で経済が低迷し、企業は立て直しを迫られていた。そのため、BPRは、その本来の理念とは裏腹に、リストラの大義名分として、あるいは手法として使われるようになった。
当時、多くの企業でBPR推進室やBPRプロジェクトなるものが作られた。BPR、すなわち組織やビジネス・プロセスの重複や無駄をなくし、ヒト・モノ・カネといった経営資源の効率的な運用を実現しようとの理念の下、いろいろな施策が検討された。しかし、理念がどこか置き去りにされ、結果として、ERP導入やリストラという手段を行使するための大義名分とされた。結局は、既存の業務プロセスはそのままに、それに合わせるための大規模なカスタマイズを伴うERPシステムの導入や、余剰人員の削減=リストラの大義名分として、BPRはその本来の目的である「抜本的な変革」を達成できないままに、いつしか廃れてしまった。
ふり返って、いまのDX(Digital Transformation)の大流行を考えると、かつてのBPRの様相と重なって見える。国際的な競争力を失い、生産性の低迷にあえぐ日本の企業経営を立て直すめたには、デジタル技術を使って、事業の競争力強化を図るとともに、組織のあり方を抜本的に変革することが必要であるというわけだ。ここにコロナ禍がかさなり、デジタルが大切だという空気が色濃くただよっている。
そのために、各社はこぞって、DX推進室やDXプロジェクトを起ち上げ、新規事業の開発や組織の変革に取り組もうとしている。そんな現実を見て、BPRの轍を踏まないことを願わずにはいられない。
かつて、BPRが頓挫し、リストラの代名詞になってしまったのは、BPRの本質を理解することなく、手段のみに着目したからだろう。つまり、自分たちの直面する事業課題と、それを解決するための戦略を描くことをせず、手段であるはずのBPRに取り組めば、解決されるに違いないという「魔法の杖」を期待した。
本来、BPRの発想が生まれた背景には、業務の専門化が進んだ結果として、プロセスが分断されてしまったことへの反省がある。このような組織は、各組織が自らの責任を果たすことのみに注力するので、個別最適が進んでしまう。その結果、企業全体で見れば、いろいろな組織で重複した業務が生じてしまう。その結果、全体最適が犠牲にされ、様々な非効率が企業の各所で発生し、経営効率を低下させていた。例えば、組織をまたいで業務が受け渡されるたびに繰り返される点検や、業務データの受け渡しに際して、ある業務システムで出力した帳票をExcelファイルに変換し、それをメールで別の部門に受け渡し、再び手作業で入力し直すなどは、その典型であろう。
このような状況を根底から変革しようというのがBPRであった。全社が共通の目標をめざし、トップダウンによりプロジェクトや既存の枠組みにとらわれないゼロベースの思考、ITの積極的活用、担当者への大幅な権限委譲などにより、企業レベルで全体最適を追求し、スピードを上げていくことが求められた。
そのための手段として、業務のあるべき姿のひな形とされるERPパッケージのテンプレートに合わせて、業務プロセスの変革や標準化のスピードアップを図り、全体最適を目指すことが提唱された。
しかし、我が国に於いては、既存の業務をそのままに、それに合わせて徹底的にカスタマイズしたり、抜本的な変革など必要としない会計業務を処理するシステム程度にしか使われていなかったり、といったケースも少なくなかった。
いま、SAPのバージョンアップ問題に直面し、膨大なカスタマイズに対処しきれず、既存のカスタマイズをそのままに、ソフトウェアをコンバージョンするだけのやり方を選択する企業が沢山ある。結果として、新しいパッケージの土台となっているデジタル技術の恩恵を受けることができず、デジタル時代にふさわしい様々な機能を使うことができず、既存を維持するために膨大なIT予算を使うことになる。まさに、デジタルの価値を毀損するような事態が起きている。また、結果として、カスタマイズされたERPパッケージでは解決できなかった分断化された業務プロセスをつなぐ対処療法的な手段として、RPAを使おうとの動きもある。なんとも本末転倒の話しだ。1990年代にあれほど大騒ぎしたBPRが未だその本来の目的を達しないままにあることを、この現実が示している。
このような事態を招いた抜本的な理由は、既存をそのままに、ツールを駆使して「改善」することを目指したからであろう。本来、BPRは、既存の「破壊」、すなわち事業構造や組織体制を抜本的に変革することだった。しかし、ERPシステムの導入や人員の削減などに大義名分を与える方便に留まり、それで解決したつもりになってしまった。結果として、労働生産性は高められず、グローバルな存在感を失ってしまった日本企業の現実は、まさにBPRの本質を正しく理解せず、手段にのみ終始した結果であったように思う。
DXが、同じようなことに、なってはいないだろうか。
では、どうすればいいのか。【明日に続く】