「優秀な人材」はなぜあなたの会社を辞めてしまうのか
コモディティ・アプリケーションは、SaaSを使うことが当たり前になりつつあります。例えば、電子メールやオフィスツール、ファイル共有、プロジェクト管理など、企業としての独自性を求められないアプリケーションは、開発や運用、保守の労力やコストを割いてまで自前で持つことの意味がなく、定番とされるSaaSを使うのがもはや当たり前の時代となりました。それだけ、SaaSの完成度と使い勝手が高まってきたことが背景にはあります。
さらに、経費精算や人事、財務会計、購買管理、販売管理などの基幹業務と言われる領域へとSaaSの適用領域は広がりつつあります。ITを武器に競争力の源泉を生みだしたいという企業にとっては、こういうことはコモディティ領域と位置付け、戦略的なIT活用に経営資源を傾注したいという思惑があるからです。
これはあるオンライン・サービス事業者のアプリケーション構成ですが、SaaSを多用していることが分かります。その理由は、もちろんスピードやコスト、そして、独自性の高い戦略的なシステム開発にリソースをシフトさせたいという思惑があるわけですが、それ以外にも「世の中のデファクトを使えない企業に優秀な人材が集まらない」という事情もあるとのことでした。
言うまでもなく、オンライン・サービスを提供する企業である以上、優秀なIT人材がいなければ企業としての競争力は担保できません。そういう人材は当たり前に世の中のデファクトを使いこなしています。
一般に、デファクトとなるようなSaaSやパッケージは、いまの常識や感性を積極的に取り入れていて、それらを使うことで、世の中のいまを身近に感じ、自分の感性やスキルを磨くことができます。
一方で、閉じた企業の論理や慣習にとらわれ、未だ頑固に自前を貫く企業は少なくありません。しかし、そのことが経営スピードの足を引っ張り、優秀なIT人材を惹き付けることができなくなっています。
これは、SI事業者やITベンダーにも言えることで、伝統的(?)なやり方から抜け出せない企業から優秀な人材が去ってゆくのも同様の理由があるように思います。
優秀な人材というのは、会社の基準で自分を評価するのではなく、世の中の基準で自分を評価できる人たちです。そんな世の中を学ぶために外部のコミュニティや勉強会に積極的に参加する人たちも少なくありません。そういう人たちは、世の中と企業の基準や習慣を客観視できる視力が備わっています。両者を比較したとき、プラスとマイナスはありますが、どちらが結果として、自分の成長やキャリアにとってプラスかを判断し、転職を選ぶ人も出てくるのだと思います。
ちなみに、そういうことになると困るからと考えているかどうかは分かりませんが、外部活動への参加を制限している企業、あるいは「快く許してもらえない雰囲気」のある企業もあるようで、こういう会社には優秀な人材は近づくことはなく、去って行くのは仕方のないことかも知れません。
もちろん、世の中の変化に関心のない人たちもいるわけですから、旧態依然としたやり方であっても、みんなが辞めてしまうわけではありません。しかし、もし優秀な人材を企業の戦力として活かしてゆきたいと考えるのであれば、彼らの受け皿となるような組織を作ることや彼らの常識を受け入れて、新しい取り組みや仕組みの導入に投資する必要があるでしょう。それは、結果として、「関心のない人たち」に気付きを与え、彼らに成長の機会を提供することにもなるからです。
SaaSの導入が拡大してゆくと、SEや営業の役割も変わってゆくでしょう。既に新しいテクノロジーに関心を持ち、コードを書ける人たちは、戦略的なアプリケーション開発や新しいサービスの開発に必要な人材として、どこにあっても引く手あまたの存在です。最先端のシステム・アーキテクチャーに熟知しインフラやプラット・フォームを設計、構築できる人材も必要とされています。
一方で、SEという肩書きではあるもののコードを書くことがないままに、調達やプロジェクト管理をやって来た人たちは、SaaSの適用範囲が拡大する中で、仕事を失ってしまうかもしれません。SaaSだけではなく、プラットフォームやツールの充実とともに開発生産性は劇的に高まり、自動化の領域も拡大する中、これまで同様の仕事はなくなってゆきます。また、ユーザー企業がSaaSの活用も含め、クラウドや自動化の範囲を拡大してゆけば、SI事業者に頼る必要はなく内製化も容易になり、ますますこれまでの仕事は先細りです。
もちろん、ビジネスの企画や設計、最適なテクノロジーの選択など、必要とされる仕事は残ります。ただ、それは力仕事ではなく高度な知的仕事であり、その能力がなくてはできません。
ならば、SEからコンサルタントへとシフトすればいいのかというと、そう簡単なことではないように思います。これまでSI事業者のコンサルタントとは、お客様の「こんなことをしたいが、どうすればいいだろう」に応えて、アプリケーションやインフラ、運用を設計することが主な役割でした。しかし、SaaSを含むクラウド利用の領域が拡大すれば、そのような需要は減少します。
一方で、「ITの価値を活かして、どのようなビジネスを作ればいいのか、あるいは経営を変革すればいいのか」という「何かをしなければいけないのだが、何をすればいいのか分からない」ユーザー企業は増えています。これに応えるためには、ITについての知識だけではなく、エスノグラフィーやデザイン思考、経営についての知識やスキルが求められることになります。こういう役割を担う人たちをITコンサルタントではなく「ビジネス・コンサルタント」と説明するたちもいます。ただ、既存のビジネスの改善ではなく、ビジネスを新たに作る仕事となると、もはや既存の枠組みでの「ビジネス・コンサルタント」ではなく、「ビジネス・デザイナー」とでもいうような役割なのかも知れません。
このような変化を求められるのは、営業も同様です。調達や購買、営業事務に関わる業務は自動化やSaaSへと向かいつつあります。そうなると営業の仕事は「買ってもらうモノや新たな仕事を生みだす」ことへと役割をシフトせざるを得ません。これは、SEにこれから求められる知識やスキルと大きく被ることになります。
こうなるとSEと営業をこれまでと同じくくりで線引きすることは難しくなるでしょう。むしろそのことが足かせとなって、案件の獲得が難しくなるかも知れません。新たな役割の定義が必要になるはずです。
これは、人材育成の問題ではありません。経営戦略あるいは事業戦略の問題です。この本質を理解しないままに、人材育成に頼ろうとすると、両者のギャップ、あるいはダブル・スタンダードに苦しむ優秀な人材は、新たな成長の機会を求めて転職してしまいます。
お客様のデジタル・トランスフォーメーションに貢献する、あるいは、ITの戦略的活用を担うことを標榜することは、時代の流れに即したことであろうと思います。しかし、それに応える経営戦略や事業戦略、あるいはそれら戦略を支えるビジネス環境や人材を揃える努力をしないままに、時流に合わせた宣伝文句でしかないとすれば、お客様からも優秀な人材からも、やがて見透かされてしまいます。
ITの役割の重心は、合理化や生産性の向上から経営の変革やビジネスの創出へと移りつつあります。前者はSaaSへとシフトさせ負担を減らし、後者は「優秀な人材」に担わせる。このような考え方は主流になるでしょう。なぜなら、それが企業の死命を制するからであり、だからユーザー企業は内製化の領域を拡大すべく優秀なIT人材を集めることに躍起になっているのです。
この変化に応えてゆくことができなければ、SI事業者の存在価値は失われていきますし、優秀な人材も去って行くでしょう。だから、「共創」だと言うのですが、お客様のビジョンや課題を共有し、ビジネス・モデルの創出や経営の変革を一緒になってやってゆこうというところまで踏み込んで「共創」に取り組んでいる企業はどれほどあるのでしょうか。相変わらず、ITコンサルタントの延長線上でしか「共創」を捉えていないのであるとしたら、お客様の期待を失ってゆくのは時間の問題だと思います。
給与や待遇を改善することで優秀な人材をつなぎ止める努力をするのではなく、本質的にあるいは根本的に自分たちの企業価値や役割、すなわちパーパスを再定義しない限り、優秀な人材はその会社の未来に失望して去って行くことになるのでしょう。それにふさわしい、雇用のあり方や働く環境も整えなくてはなりません。
人間力に頼らざるを得なかった業務がSaaSや自動化などの機械によって代替できるようになったいま、優秀な人材はこれまでにも増して重要な経営資源となりました。労働力をどのようにして増やすかではなく、どうすれば優秀な人材を増やすことができるかを考え、それを実行に移さなければ、企業は存亡の危機に立たされることになります。少子高齢化が加速度的に進行するいま、その意義はこれまでに無く重たいものになろうとしています。