音楽と都市の関係:フィラデルフィアと言えばフィリー・ソウル
アメリカ合衆国独立の地として有名なフィラデルフィア(ギリシア語で兄弟愛という意味があるらしい)は、意外と知られていないのだが、実は全米第5位の人口を誇る屈指の大都市である。ただ、日系企業が少ないせいだろうか、ニューヨークやロスアンゼルスなどに比べると、日本人の間では極端に知名度がない都市だ。
ところが、一般的には知名度が低いものの、私にとってフィラデルフィアというのは、絶対に忘れることができない都市の一つになっている。なぜなら、高校生の時に、フィラデルフィアで生まれたソウル・ミュージック、フィリー・ソウルに夢中になっていた時期があるからだ。フィリー・ソウルが誕生した都市として、私の脳裏にはフィラデルフィアの名前が深く刻み込まれてしまっている。
今でこそ全盛期の勢いはなくなってしまっているものの、1970年代のソウル・ミュージック・シーンをリードしていたのは、紛れもなくフィリー・ソウルだった。60年代に栄華を誇っていたスタックスは、70年代に入るとその輝きを失いはじめ、結局76年に倒産してしまう。そのスタックスに代わって、ソウル・ミュージックの主役の座を射止めたのがフィリー・ソウルだったのである。
フィリー・ソウルの特徴はといえば、華麗&スウィートにあると私は思っている。特に、フィリー・サウンドとも呼ばれる、管楽器と弦楽器を融合させた華麗なストリングス中心のサウンドは、ウイルソン・ピケットなどのフィリー・ソウル以外のアーティストにも知れ渡るところとなり、”フィリー詣で”という現象を引き起こしたほどであった。
そのフィリー・サウンドを演奏していたのは、黒人や白人を始めとした多人種で構成されたMFSBという腕利きの音楽集団であり、その録音の拠点となっていたのがシグマ・サウンド・スタジオであった。フィリー・ソウルを語る上で、MFSBとシグマ・サウンド・スタジオの二つは外せない。
スウィートも、フィリー・ソウルであるための重要な要素である。ビリー・ポール、オージェイズ、スタイリスティックス、スピナーズ、スリー・ディグリーズと、フィリー・ソウルを代表するアーティストの歌は、とにかくスウィートと言う以外に説明のしようがない。
フィリー・ソウルの全盛期は、73~75年あたりまでで、その後はディスコ・サウンドに手を出すなどして、徐々に輝きを失って行くことになる。ただ、いま聴いても華麗なサウンドは新鮮で、まったく古さを感じさせないところが凄い。
それと、ダリル・ホールやローラ・ニーロなど、ロック系のアーティストに信望者が多いのも特徴である。